アトムとトミノ
- 2006 03/08 (Wed)


このムックは1978年の5月に発行されており、
富野はザンボット3の制作を終えた時期にあたる。
初代アトムの全話あらすじや登場キャラクターの紹介、
設定資料などが収録されている。
情熱と試行錯誤が生んだアトム
「アトム」から10年、当時、アニメーターとして、演出家として、そしてシナリオ作家として「アトム」に情熱をそそいだ人たちが、いま熱をこめて青春の軌跡をかたりあう。
出席者:紺野修司(洋画家)
豊田有恒(作家)
富野喜幸(演出家)
<司会> 杉山卓(演出家)
手塚治虫氏も床に寝た
杉山 本日はこうして「アトム」以来十年ぶりに顔を合わせたというわけで、何ともおなつかしいというか…。さっそくですが、紺野さんはたしか、虫プロ発足早々から参加なさっていらっしゃる。そこで、「鉄腕アトム」がはじまった当初の経緯をお聴きしたいとおもいます。
紺野 アニメーションはテレビに向いていないという考え方が、当時の大方の考え方であったわけだ。技術的にも困難だし、営業的にも非常な冒険であるという考え方を、アニメーションに携わる人間だったら誰でも持っていた。それをあえてやろうというのが、手塚治虫及び虫プロダクションの意欲だった。
富野 そうした困難な条件の中であえてやるということについては何か成算でもあったのですか?
紺野 社長(手塚治虫氏)なんか具体的に方法論を立てていたようでしたね。ま、新しい手法の発見みたいなものを試行錯誤の上で目指していたわけで、画期的なことだという自負の念は、メンバーみんな持ってたね。
杉山 それで、実際に始まってみてどうでしたか。
紺野 オンエアするにあたって、少なくとも13本、ワンクールくらいはストックがあってスタートするべきだということは、メンバーも手塚治虫氏も常識としてあったんだろうと思うけれども……実際には3本か4本ぐらいでスタート切ったんじゃなかったのかなぁ。
豊田 それでは大変だったでしょう。
紺野 もう、始まってからというものは、ボクなんか十日家に帰らないとかね。手塚治虫氏自身からして、床に毛布一枚敷いてかぶって寝るという状態だったね。
豊田 スタートの時、人数はとても少なかったでしょう。
紺野 それは少なかったですよ。ですからもう最後はメチャクチャだ。ある見通しを持って、意欲を持ってというけれども、まさに試行錯誤で、読みが甘かったといえば、まさにその通りだったと思うね。
初期はシナリオもなかった
豊田 今のアニメーションというのは、システム的に動きすぎているようなところがありますけど、最初の頃は、そういった点どうだったんですか、合理的にパッパといったわけですか?
紺野 やろうとしたわけです
豊田 つまり「アトム」がバンクシステムというのを最初につくったわけでしょう。
紺野 そうです。やることを前提に始めたけど、最初っていうのはなにもないわけですね。だから10話、20話、30話と重ねるうちにストックができてきて、管理部門もしっかりしてきたわけだね。
杉山 「アトム」のスタートというのは、内容的な問題と、もうひとつそういうシステムまで含めた技術的な新しさと、同時に課題を背負っていたわけですね。どっちが早く克服できたというか、形が整った感じがしましたか?
紺野 もう、相克だな。どっちともいえない。
豊田 そうでしょうね。
紺野 そうそう、初期の頃『ホットドッグ兵団』(32話)というのがあるでしょう。あれはぼくの演出になっているけど、事実上社長だったね。とつぜん、原画から動画まですませて、これ入れて下さいって(笑い)、本来ならぼくが演出に立ってるわけだから、組織と機能を乱すことになるわけだけど、でもぼくがウンといいさえすれば問題はおきない。否定する理由は何も無い、いいんだから。あれは相当力をいれてたね。
豊田 それは初耳ですね。―これはいっていいかどうかわからないけれど、手塚先生というのはクリエイターであって、なまじ社長業がうまくやれるようじゃ、とてもクリエイターはつとまらない。その中にいる限りでは、システム的なものを乱すことはあり得るわけですね。だから試写があがってくると、先生が来ないことを願いましたね。来ると何かいいそうだから(笑い)
富野 シナリオがなくてやったというケースもあったんでしょう?それにあの当時、コンテが全部できあがってなくても作画に入らざるを得なかったということも…?
紺野 いや、絵コンテはつくったね、当時から。まあ社長の場合は絵コンテも完成しなくてかかったこともあったね
富野 シナリオは?
紺野 シナリオはない。
映画とアニメのちがい
豊田 私はその頃、初めて「アトム」をテレビでやるということを手塚さんから聞いて、パイロット版を大きいスクリーンで見せていただいたんですよ。そしたら、アトム誕生のところで、スクリーンの端のほうでギャグのシーンがあるんですね。それ、ものすごく枚数使ってるんですよ。ところがこれ、スクリーンでみればいいんですけど、テレビに圧縮しちゃうと端のほうのやつが欠けて……つまり、テレビの画面の大きさじゃなくて……ギャグがあるとすれば、真ん中になければいけないわけですよね。テレビの場合は。それが、画面全体がひとつのバラエティになっていまして、ロボット製造工場みたいなのがあったり、そういう場面があったのがすごく気になっていましてね。印象としては、それがすごく強かったですね。適当に手を抜いて、いかにうまくやるかというそのへんが、どういうふうに確立してきたのか、私にはよくわからないんですけど。
紺野 映画のアニメーションとテレビのアニメーションは違うんだということが、体でわかってないわけなんだよ。とにかく、流れる意味では同じだけど、そういう画面の大きさとか、テレビフレームと映画フィルムは違うということを頭では知っているんだけれども、どこかにやっぱり無駄な、テレビ手法ではなくて映画手法に近いものをやったかもしれませんね。かもじゃなくておおいにやったんじゃないかね。
豊田 よく、寄りのテレビ、引きの映画っていうでしょう。だから、わりに引いたようなシーンでロボットが沢山いるわけですよね。で、端のほうのロボットもたしかに動いているんですよ。
紺野 ただ治虫氏がそういうパノラマ式のこまかい、気がつかないところに凝るというところがあって、だからテレビフィルムといえども手が抜けない。
豊田 あとあとまで、そういうことはありますか?
紺野 それはもうずっとありました
画期的だった“3コマ打ち”
富野 俗に言う3コマ打ちなんてのは、映画のアニメーションのセンスでいったときに、あれは成立しませんよね。
紺野 映画では、きわめて特殊な例だろうね
富野 それをテレビに導入しきったというあたりは、「アトム」以前に前例はあったんですか?
紺野 いや、なかったね。
富野 ボクはむしろ「アトム」の仕事で、初めてアニメーションというものを知ったほうなんで、3コマ打ちなんていうと、当たり前に思ってた部分がなきにしもあらずなんです。ところが、「アトム」以前につくられたアニメーションを見ていったとき、基本的に1コマか2コマ打ちですよね。口の動き方ひとつにしても、1,2,3の3枚くりかえすというのをつくったり、要するに3コマ打ちを定着させたというのは、今改めて考えるとすごく不思議なんですよ。
豊田 逆に画期的なことなわけでしょう。
紺野 それが今だに、完全に踏襲されているわけだね。むしろそれがひとつの状態になっちゃって、画期的なことだったとは、誰も意識してないんじゃないかとも思うね。
杉山 当時虫プロでは「ある街角の物語」(37年)を製作しましたけど、あれは「アトム」と平行していたんですか?それとも段階を追ってつくったんですか?
紺野 段階を踏んだような気がするね
杉山 「街角……」はどっちかというと、伝統的なアニメーションの技法がフルに生きている感じですよね。その切り替えみたいなものは、別にそれほど問題なかったんですか?
紺野 「ある街角の物語」それ自体、いわゆる東映でやっているようなアニメーションフィルムとは、また一味違うものをつくろうという意欲があったから、技術的にもやっぱり新しいものを見つけようとしてやったな。だからそれがひとつ「鉄腕アトム」に生きたともいえると思うね。
ストーリーがたりない状況
富野 豊田さんが初めてお書きになったのは何ですか?
豊田 「ラフレシア」72話ですね。これ(リストを手に)で見ると、このあとがすごいんですよ。「ラフレシア」を書いてしばらくたって「空飛ぶ町」「モンシターマシン」「五十万年後の世界」が続くわけでしょう。けっこう続くんですよ。わりに集中的にそういう時に噛んだんですね。
紺野 すごいよ、こう書けりゃたいしたもんだ。
杉山 豊田さんの頃になると、原作はあらかた使い切ってるわけですね。
豊田 そうですね、二年目ですからね、原作使い切ってますから、新たな、アトムを使う話を起こさなきゃいけない。ただ私が入ったときは、一年目の「アトム」より少し遅れて、「エイトマン」がありましたでしょう。私がシナリオで噛んだのは「エイトマン」のほうが最初なわけです。シナリオの書き方をテレビ局の人に教えてもらいながらやったんですよね。ひどいシナリオですよ。私が初めて書いた「エイトマン」のシナリオなんていうのは、もうメチャクチャでしてね(笑い)ストーリーはちゃんとあるんですけどね。
富野 いわゆるシナリオらしくないという……。
豊田 らしくないというか、「ここで戦車が走る大きな音を出す」なんていうト書きがあるんだな。SE(音響効果)という言葉をぜんぜん知らないんですよ。ムチャクチャな話ですけど。それである程度シナリオの書き方を覚えてましたからね、手塚先生に、うちに来ないかといわれて行ってから、いきなり狂躁状態に巻き込まれたわけですね、ストーリーが足りないという。
リリシズムの薄れた時期
富野 ボクは「アトム」の二年目の中頃に初めて虫プロに入ったんですけど、つくり方というものは、それまでに教えられたものと違って、完全にストーリー主義に陥っている…というのは悪く聞こえるんだけど、とにかくストーリー主義ですね。ストーリーさえ基本的にあれば……。
豊田 いや、アイデア、ストーリーですよ。
富野 だから、そのことがある面で、アイデア一つだととても歯が立たなくて、小出しのアイデアの積み上げでつくっていかざるを得なかった理由だ。ボクが「アトム」の二年目後半からうしろの三年間、演出をやらせてもらっていえるのは、むしろその部分に逆に固執しすぎていて……。紺野さんがおやりになってた頃の方が、原作はたしかに量的に多いんですけれども、そうはいっても明らかに手塚イズムに乗っとった上での大らかさとか明るさみたいな、抜けてる部分ていうのがあったと思うんですよ。それが後期に関しては、その部分がやや無くなってきたんじゃないかなという気がします。
豊田 それは私なんかよく感じましてね。つまり虫プロでは異質のほうで、手塚さんの持っているリリシズムみたいなものがないわけです、はっきりSFものと割り切ってやってるわけです。だから何本かに一本の私のローテーションだといいわけだけど、そうじゃなくて、別のライターのシナリオが没になると、バラエティがなくなってくるわけです。それにライターが3人しかいない時代ですから。
富野 ライターはほんとにそんなものでしたっけ?
豊田 辻真先、平見修二、ボクと、この三人、そう、それから石津嵐とか、あなたもシナリオ書いてなかった?
富野 実は機能、こちらへ来るっていうんで初めてひっくり返してみたら、ボクはかなり自分で本でっち上げて20本ぐらいやっているんです。あらためて驚きましたね。
絶対に残る名作
杉山 最後に、現在のみなさんにとって「鉄腕アトム」とは何だったのかということで少し、お話いただけますか。
豊田 私は青春の軌跡みたいなものでしょうなぁ。今は見なくなったけど、3年くらい前までときどき「アトム」の夢を見ましたよ。それで朝起きると「アトム」のシナリオのアイデアを思いついているわけですよ(笑い)。まだ起きたばかりで頭がボケてるの。それでいいアイデアだと思って、夢で見たやつをもう一回整理するわけ。それからしばらくして頭がはっきりして、“アッ、そうだ、オレはもう「アトム」のシナリオ書かなくていいんだ”と、それに気がつくわけです(笑い)
富野 私なんかいまだにロボットものをやってますんで、メロメロになっちゃって、そういう意味では「アトム」というのは一番思い出したくない存在なんですよね。
紺野 なぜ?
富野 ひとつにはボク自身の経歴のなかにあることでは、アニメーションとか映画とかテレビとか、そういう仕事を教えてもらったということと……“アニメーターにあらずば人にあらず”という標語を何とか取っ払いたいと思いながら、結局それもできずに「アトム」が終わったとき、ボクは虫プロというところではもうボク自身仕事ができないと思って、虫プロを飛び出していっちゃったんですよね。
杉山 紺野さんいかがですか。
紺野 「鉄腕アトム」は、絶対に名作として残る。このあと、どんないいものが出てきても、技術的に優れたものが出てきても、とにかくテレビアニメの名作として残るという自負はあるね。
「ガンダム者」などでもふれられてはいたがすごい現場だったんだな・・・。
それと2003年の東大で行われた富野講演会「祭」で
「虫プロの頃のライターに『SFの肝はアイデア』だといった馬鹿がいる。殺してやろうかと思った」
と暗に批判していた豊田有恒氏が同席しているのも感慨深い。
- posted 22:50 |
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Comment
いやあ、監督成分が思ったより濃かったようで一安心。
さすが眼力が違いますね。中身も見ずに富野分を察知できるとは。アドバイスにしたがって買って正解でした。
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