HOME   »   富野由悠季関連  »  【追記あり】富野由悠季は「新世紀エヴァンゲリオン」をどのように評価してきたのか
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富野が「新世紀エヴァンゲリオン」に対して厳しい言葉を言い続けていたのはよく知られています。
しかし、実際にどのような評価をしていたのかについては、センセーショナルな言葉だけが先行してしまっているように見受けられます。
そこで、過去の発言の中から「新世紀エヴァンゲリオン」に関して語っている部分を抜粋してまとめてみました。

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参考にした資料は発言の時系列にそって紹介しています。
発言の収録日が分かる場合はその日付、わからない場合は媒体の発行日を基準にしています。

1.機動戦士ガンダムZZ MEMORIAL BOX TYPE-2 ライナーノーツ収録「対談―富野由悠季×上野俊哉」


今のアニメ状況を考えたときに、じつはこの数年うすうす感じていた、視覚媒体のもっているたいへん危険な部分が露呈してきていると思うのです。現に『ZZ』をみてもその芽は間違いなくあった。その芽がこういう風に拡大したときに、本当はいちばん言いたくなかったタイトルがあるんだけれども、『エヴァンゲリオン』みたいなところに行き着くんだよねって。まったく困ったものなんだよねって。だけどそういう面は全部ある。それは個の力ではきっと阻止できなかっただろう

via:「ガンダムZZ」LDライナー 富野由悠季×上野俊哉対談 その2 | ひびのたわごと

さっき歌舞伎町の中を通ったからこう言えるんですけど、ポルノビデオみたいなものはいくらあっても構わないと思ってる。でも『エヴァンゲリオン』みたいなものがあることはもっともやばいことだから、あれは禁書にしなくちゃいけないんじゃないか。

via:「ガンダムZZ」LDライナー 富野由悠季×上野俊哉対談 その2 | ひびのたわごと

『エヴァ』は病人の絵だ。それを本人も気がついてないだろう。まさに病理の膿をみせてるんだよねっていう気持ち悪さ

via:「ガンダムZZ」LDライナー 富野由悠季×上野俊哉対談 その2 | ひびのたわごと

富野「僕は『エヴァ』のことは話せないんです。1話しかみてないから。『やっぱ1話だって見とかなくちゃいけませんよ』と言われたんで。そういうことを言った奴がビデオを持ってくるから、しょうがなくて1本だけ見て、いや1本だけ見てじゃないんです。1本みるのがやっとだったんです。2本目を見ることができなかっただけのことなんです。その理由はこういうことなんです。いままで話しているロジックの中で言う程の面倒なことじゃないんです。もう見て2,3分でダメなんです、僕は。で、何がダメかというのを参考までにお話しておきます。困ったことに上野さんは、あの中の演技も含めてかなりお好きなようだから」

上野「いや、批判的ではあるんですよ。かなり」

富野「だって、やっぱりちゃんと人が動いてないもんね。それは、きれいに動いていないからという意味ではないんですよ。やっぱり人のリアクションができてないし、それから何よりも、パッと人の顔が見えたときに、あ~、病気の顔が出てきて何するんだろうなっていう。でも、人間だったら病気だってまだ我慢できたんですよ。きっと。使徒がでてきて、あ、これも病気だ。そんなメカと人間が出てきて何をやろうと、何を見せようというの?これはエンターテイメントとは言いません。少なくとも人様にもともと見せるものではないものを見せてる。その無神経さでものが作れるというのは、とっても失礼だ。なぜ僕が『エヴァ』のフィルムをみて無神経と言えるかというとこういうことなんですね、例えば僕この2,3年ほとんど毎月1本は芝居をみているんです。それでね、自分でも多少は演技がわかってるかなと思っていたんだけれども、芝居をみたおかげでまたちょっと違ってきた部分があって。芝居ってどんなに酷い芝居でもひとつだけ救いがあるというのは、生身の人間が動いているおかげで、場合によってはシナリオが酷くっても何となく見れちゃう。この役者、一生懸命やってるよね。かわいそうだな、こんな台本で。と見られるわけね。アニメというのは不幸なのは全部つくりだから、どこかに一つだけつくりでない部分がないと僕は見られないから。『エヴァ』にはそれが一切ないというのが、実はわかっちゃうわけ」

via:「ガンダムZZ」LDライナー 富野由悠季×上野俊哉対談 その2 | ひびのたわごと

僕が元々こういう仕事をやってられるのは、少しだけ映画が好きなんです。少しだけ映画が好きな人間からみたとき、『エヴァ』は映画をやってないんですよ。映画というのはもうちょっとだけ楽しいし、もうちょっとだけ気持ちいいし、というのが一切合切なくて、神経衰弱というものだけ見せられたら、それは申し訳ないけど僕には見られない。頑張っても見られないんです

via:「ガンダムZZ」LDライナー 富野由悠季×上野俊哉対談 その2 | ひびのたわごと

庵野君がもう少しだけ感性がナイーブだったり―ナイーブというのはここでは繊細であるというよりノーマルといったほうが正しいでしょう―ノーマルであったりすれば、少なくとも回避する方法を講じられただろう。その部分が作動してないんじゃないのか、つまりクリエイターとして、まったく無防備になっちゃって、そのとき自分が考えたことだけを全部やっているような気がする

via:「ガンダムZZ」LDライナー 富野由悠季×上野俊哉対談 その2 | ひびのたわごと

作品をみていない僕が言えるのは、庵野君自身からその話をきいているからです。『申し訳ないけど1本しかみられなかった』『はい、それでいいです。1本だけでも見てもらえればいいです』『ああいうふうにしかできなかったのか?』「ああいうふうにしかできませんでした』。そして、『できませんでした』と言ったときの気分はわかるから、それは上野さんのおっしゃられているとおりかもしれない。

via:「ガンダムZZ」LDライナー 富野由悠季×上野俊哉対談 その2 | ひびのたわごと

1996年11月に収録された対談です。
かなり辛辣な言葉が放たれています。
病的というのが嫌悪の大きな理由になっているようです。

2.別冊宝島293 このアニメがすごい!収録インタビュー「ガンダムの子供たちへ」



本来、たとえば今話題になっている『エヴァンゲリオン』なんていうアニメは作品じゃないはずなんだと。だけどそういうものを俎上に上げてしまう。そういうカルチャー論、サブカルチャー論って言葉で何でも認めていく。それはサブカルチャーの側の問題というより、すでに評論する側も全てデジタル化している。これは、かなり深刻でやばいぞって思います。

via:富野語録名作選(エヴァンゲリオンについて)

と言っても、オンエアの一本しか見れなかったです。それ以上は見られなかった。エヴァが、僕みたいな年代とか、僕みたいな感覚を持つ人間から見た時に、あのキャラクターは生きてるキャラクターではない、と感じます。ドラマは、生気ある人によって描かれるはずなのに、その根本を無視している。かくも腺病質なキャラクターとメカニックで、ドラマらしいものを描けるというのは、頭の中で考えていることだけを描いていることで、短絡的に言えば、電脳的だと。セックスにしたって生きているから出きることでしょ?その境界線を分かっていない年代、つまり、ビデオとかインターネット上のオマンコ見てセンズリかいているだけで、生のセックスに興味を持てない、本物の女性を怖がる病理現象があるだけで、さっき行った『死ぬこと』が実感出来ないっていうことが一緒になった感性の人々の実在を見せつけられただけで、そう、あれはカルテに見えるんですね。

via:富野語録名作選(エヴァンゲリオンについて)

1997年1月に発売された書籍のインタビュー。
病的であり、身体性を欠いた物語であることを理由にあげています。

3.CYBER TROOPERS VIRTUAL‐ON REFERENCE SCHEMATIC―電脳戦機バーチャロン副読本収録対談「Laugh?...I nearly bought one!」(亙重郎氏との対談)


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アミューズメント書籍編集部
ソフトバンククリエイティブ
1997-10


亙 何から話しましょうか。

富野 僕のようなレベルの、いわゆるすがりたい人間が「これだったら間違いなくすがっていい」と思える言葉が欲しい。もう少しだけ、このレベルの対談でわかりやすいこと言うと、エヴァは違うんだよって言う言葉が欲しい。

亙 結局エヴァは(みんなが望んでいたものとは)違っていた。「どうなっちゃうの、日本のロボット・カルチャー?」みたいな感じですかね。原点から見ていくと、鉄人28号、ジャイアントロボから始まっての、サンダーバード的な(説得力としての)リアル感。ガンダムから始まっての兵器としての「宇宙の戦士」的リアル感。こういったアプローチは、その時その時で、絶対に正解だったと思うんです。やっぱり子供達はワクワクして、心奪われましたから。しかし現状でエヴァ的なものはどうだったのか、と言う気はしますよね。

富野 しますでしょ。それと同時に、今のエヴァ関係で物凄く困ることっていうのを、僕は感じてるんです。

亙 何でしょう。

富野 エヴァ現象が一つの商売になると思っていたり、エヴァ現象を語ることが、ひょっとしたら文芸批評だと思ってるとか、もっと立場が悪いのは、日本の大新聞に評論を書いてみたり、とか。こんな困った状況に対して問題意識を抱いたとき、それを的確に表現する言葉が欲しい。今、僕はその言葉が分かんないんで困ってる。だから教えて。

亙 どうですかね。

富野 どうですかじゃない、教えなさい。あなたの方が頭いいんだから。これは年齢には関係ないです。頭の良さなんて。

亙 うーん……。やっぱり人間、ゴールを求めるなら期間として10年は欲しいですよね。10年待つ。中国人じゃないですけど。

富野 ほんとあなた頭いいよ。

亙 結局、物事を論じる場合、2,3年じゃ見えないでしょう。その時にどんな言葉で繕ってみても。やばいときに言葉をいくら積み重ねても言葉に頼ってるって言われる、そんな誹りを免れないんです。そんなときに、10年待とうってぐらいの気構えがあると、真理が見えてくることもあります。何のかんの言って、その時代に巻き込まれていると結局見えないじゃないですか。まあエヴァ程度だったら2,3年で見えるかもしれないけど。でもいいと思うんですよ、今レイちゃんが好きな子は、それで。アスカが好きな子にしても。そういった類型的少女の妄想に夢中になれる人は、それはそれで美しいじゃないですか。

富野 美しくない。美しくないよ。そう言うなよ。しょうがなくないよ。

亙 でも、10代の男の子として、それは正当な「あるがまま」の姿ですよ。

富野 俺が10代のときに、チンチン立ったのは、レイとかアスカじゃないのよ。もうちょっと姉ちゃんだったのよ。

亙 でも、今は違いますもん。

富野 何で、そんな違うものがいいのよ。

亙 レイとかアスカとかの方が、彼らにとってリアルなんです。彼らの求めつ方向性としてのリアルなんです。

富野 それが雄として、動物として、人間としていいのかよ。

亙 彼らがいいと思う方向性と、雄としていいと思う方向性は違います。

富野 そんなわかってる。

亙 彼らにとってはそれが一番安心できる雄としてのベクトルなんです。勿論、ヘナヘナ度は高いですが。

富野 そんなのは分かってるよ。それをとても頭のいいあなたが、何で平気で見てられるのよ。

亙 心奪われた男の子は、頭が冷めるまでは何を言っても無駄ですわ。

富野 何でそんなに大衆を捨てられるの?

亙 捨ててませんよ。だって、「これはダメなものだ。こうあるべきだ」なんて押し付けるのは父親的な独善ですよ。間違ってるからって、こんなときに押し付けられたら、かえって拒絶反応が強くなるっていう事、あるじゃないですか。

富野 あるのは分かる。あるのは分かるけど。

亙 だから、時期を待って言ってあげるんです。でも、今は駄目。今、もし俺が何も知らない10代だったら、間違いなくそう(エヴァに夢中になる)って分かるから。

富野 僕は分からん。

亙 僕は分かりますよ。

富野 それは分かるわ、お前のほうが若いんだから。

亙 そこがギャップなんです。だから僕は待つ。それから言ってあげる。これをやってあげられないのは、もしかしたら富野的な限界なのかも知れないけども、僕は待てる。

富野 あなたは待てる。若いから。僕は4年後に死ぬの。死ぬ前に言いたいの。

亙 ならば言ってください。

富野 だからそのときの言葉遣いが分からないから教えてくれって、さっきから言ってるじゃない。

亙 それは自分の言葉で言うのが、結局一番いいんです。自分の言葉で言ったら、今は駄目でも10年後に分かって貰えるかもしれません。富野由悠季という人間が今際の際に、10年前に、こういうことを言っていた、と分かって貰えます。言葉ってそういうものじゃないですか。発信した人間の口から離れた瞬間に、もう本来の意味って失われてる。偶然の経緯で分かるときがあったとしても、それがいつなのか、なんて分からないです。もしかしたら10年後にそんな奇跡があるかも知れない、そんな期待を込めて言うぐらいの希望的根拠しかないですよ。現状でもし「言葉」を発するとしたら。

富野 言葉の話はここまでにしておくとして。今の時代って『言葉の時代』じゃなくて『システムの時代』んだ。これから言うことは「間違ってる」と言って欲しいんだけれども、実はエヴァ現象を含めて、今までの人類史において、ひょっとしたら初めて変わりつつあるシステムが作動しているんじゃないかと感じている。それは、室町時代以降の天皇制のシステムとはちょっと質感が違うような気がする。

亙 それはちょっと違います。結局、一つの規範としてのシステムは、延々と続いています。免罪符としてのシステム。南無阿弥陀仏としてのシステム、ずっと同じです。これにすがっていればオッケー。品が違えど、形が違えど同じです。で、話を戻すと、それに目が真っ黒になった人々を無理にこちたに振り向かせるというのは、かえって弊害が生じます。彼らの熱が冷めたときに、こういう道もあるんだよ、と言ってあげる方が親切というもんです。これが、一番効果があるんです。そもそも、自分が何をしたくて、そのためには何が一番効果的かと考えたときに、タイミングを見るというのは発信者としての一つの義務であり、責任だと思います。逆に、「今ここで、どうしてもこれを言いたい」というのは、発信者としてのわがままです。発信者は、もしコンセプトを伝えたいというところにプライオリティを置くのであれば、時期とタイミング、それを見るべきです。

富野 そういうことで言うと、この15年間自分が死んでたという部分が物凄く有難いことだなっていうふうに今思っています。実はさっきまで物凄くマイナス寄りだと思ってたんだけど。

亙 僕もそう思ってます。

富野 (指差しながら)教えて下さい。あの人は一体何者なんです。

亙 ソフトバンクの編集長です。

富野 違うよ(笑)。そういう事、つまりなんでそういう話がわかるわけ、あなた(編集長)は。僕は、さっき言った通りサンライズのようなところにいて、極度に凡俗……凡俗だったらまだいいのよ。もうアニメとか……アニメならまだいい……ガンダムみたいなものに汚染されちゃって、その部分の思考回路しか持ってない人達の中で、話をしていた。だから、実は今みたいな話(愚民に対してもう一度投げかけるための言葉が欲しいが見つからない)も含めてサンライズで教えられることってのは何一つなかったんです。正直とても辛いです。今、こういう言葉なり詩なりっていうことを引用できる、こういう格好のいいインテリがいて、こういうサブカルチャーみたいなところで、こういうふうにやっている、そういう姿をみているあなたは、何なのよ。

編集 「伝える者」としてのスタンスに専念しています。ここに富野由悠季という人がいて、亙という人がいて、語り合っている。でも、多分語っていることの内の全部が全部、自分の中で消化されているわけでもないし、聞こえてないところもあるんです。

富野 僕だって聞こえてないよ。半分ぐらい・……(僕が問題視しているのは)こういうことです。活字世代として一番苦しい本人も、それを自覚しているっていうサンプルの話をします。ここにいる彼(同席のライター)です。結局アニメというテリトリーの中での言葉遣いしか知らないために、この程度なんです。この程度なんだということを、時を選んで叱ってあげなくちゃいけない。それなのに、こんなところにやって来ちゃうんです。奇怪しいんだよね。「お前、もう少し本気になって勉強せい」って言ってあげなくちゃいけないのに。こういう環境で楽に生活させている世の中というのは絶対に異常だ。彼を叱ってあげる大人達がこの業界にいないんだよね。それは奇怪しいんだけど、それを容認してきたから、エヴァみたいなものができちゃったんだ。出来ちゃったエヴァを叱るつもりはありません。庵野君も叱りません。ガイナックスも叱りません。だけど、生き物として、明日も生きたいという欲があって、エヴァを食い物にしている業態についている人達は許せない。けど、彼らは何も言わない。この小利口さが嫌なんだよね。さっきから言葉論のはなしをしているわけだけど、言葉ってのは、はっきり伝えられるものがあるはずなのに、なんであなたみたいな利口な人が回避するんだよ。許せないね。

亙 回避してませんよ。

富野 だってあなたの言い方だったら分かんないもん。アニメとかコミックへ浸かってる馬鹿どもには。

亙 ところが富野先生の言葉も分かんない。伝わらない。今の富野先生の言葉の先が分かるような人は、もうとっくの昔(1996年)にエヴァを見切ってます。

富野 実はサンライズで仕事をやっているような、僕が見くびっている人達の中にもエヴァを見切っている人がいる。だけど、その一方で、実は(わかっていて)仕事をしていると思っている人達が見切ってないという怪しさ。これはなんなんだろうな?ひとっていうのは本当に怖いなと思った。

亙 過渡期だと思うんです。アニメっぽいところ、あるいはアニメを中心にしたアニメ・カルチャーなるもの、これってちょっと縮小再生産が度を過ぎて行き詰まってるじゃないですか。こんな状況で、現場の最先端にいる人間に崇高なモーティベーションを持てと言っても、それはそれで酷だと思うんです。

富野 それで分かって来たことがある。今、僕は崇高という話は飛ばす。自分が崇高っていう部分を全部切り捨てたかも知れないと思っているから。手足で地べたを這いつくばるところから始めないといけないんだよということが、ほんとに分かって来たのさ。それだから、僕は馬鹿になった。鬱病にもなった。人間の体なんてこんなもんだってことも、きっちり言っていこうと思ってる。そういうことを、そういう言葉遣いをしようと思っていたときに、例えば10年、15年前に使った言葉遣いでは伝わらないってことが分かった。あなただって、こういう文脈の話をしてきたんだから、富野さんの言ってることが分かんないだよ。だったら言葉遣い教えてよってことなんです。

亙 それは、これから紡がないと。

富野 作るしかないんだろうな、紡ぐしかないんだろうな。

亙 ある意味ちょっと優しい気持ちになって。万能的なスタンスとか言ってみても、「こういうつもりではなかった」なんて事、多分あると思うんだ。

富野 あるよ。で、エヴァの事をこういうふうに言った人がいる。「庵野のリハビリだったものを見せられて、結果的に商売になっちゃった。だから庵野も困ってるし、彼自身もう一度リハビリをやんなくちゃいけないんじゃないのか、という風にきっと行き詰まってるはずなんですよね」って。

亙 それ、ちょっと優し過ぎる。

富野 優し過ぎる?

亙 そこまで甘やかされたら、ちょっとやばいんじゃないかな。

富野 そうして、教えて。その辺分かんないんだ、今。なぜ優しいのか分かんないから教えて。

亙 だって駄目なものは駄目じゃないですか。もしそれがリハビリであるなら、それを正当化して欲しくないな。私小説じゃないんだから。

富野 ほんとにそうだ。だからそういうふうに、底無しに無防備に優しい人達に、お前らそろそろ、例えばこいつら馬鹿なんだということを言ってやれよっていう話をするために必要な言葉遣いっていうのを欲しくなっちゃったんだよね。ほんとに欲しくなっちゃったの。だから凄く辛いの。

亙 先生。なんで(時が来るのを)待てませんか。

富野 4年しか待てません。60歳で死ぬかもしれないって、まだ思ってます。


1997年5月に収録された対談です。
「エヴァンゲリオン」という作品そのものよりも、社会的な「エヴァ現象」、そしてそれに乗っかった「エヴァビジネス」に苦言を呈しています。
苦言を呈しながらも、自分の言葉では苦言として届かないことに苦悩し、亙氏にその「言葉」を求めています。

しかし、その絡み方があまりにもしつこすぎ、亙氏がキレずに冷静に相手をし続けていることに感服します。
富野の対談は意図的に挑発的な言動をとることで相手との会話の流れを作り、決まりきったお約束な内容を避ける傾向があります。
だとしても、この対談での絡み方は言いがかりにちかいものがあり、個人的には富野の対談の中では最悪の評価をしています。

4.ニュータイプ マーク2収録「富野由悠季 バイストン・ウェルからの帰還」


(エヴァについては)これ以上は勘弁して下さい。もうある意味で言い過ぎましたから言っちゃいけないと思います。それとこの2、3ヶ月で心境が変わってきたところがあって、さっき言ったように庵野くん個人に対しては、富野がいたおかげで、お前がこうなったとしたならば、それについてはごめんね、ということで止めさせておいてください。

via:富野語録名作選(エヴァンゲリオンについて)

『エヴァ』に関しては『エヴァ』を直接つくった・・ガイナックスというグループが成立したプロセスが持っている、あのグループに入ったときに個までがガイナックスになっていってしまうというそういう妖しさを排除していかなくてはいけないんだ、と言えるのは僕の立場でしかないと思います。そういう気をつけた作品をつくりたいと思っています。

via:富野語録名作選(エヴァンゲリオンについて)

上手に表現出来るかどうかわからないし、僕が今後作品つくらせてもらえるどうかも未定です。ただやれるとするならば、庵野くんに対する”ごめんね”ではなく、もっと重要なことがメッセージに入ってくると思います。それはここまで膨れ上がった、ビジュアルっていうものをこういうふうに愛せるようになった世代に、違うものをきちんと投入しなくちゃいけないというのが僕にとっての責任だと思います。

via:富野語録名作選(エヴァンゲリオンについて)

我々がつくりあげた情報化社会で育った子供たちが『エヴァ』をつくったわけですから、『エヴァ』の12年後に出てくる『エヴァ』はもっときっとイヤだろうな、その子供たちを叱咤激励出来る50代でありたいなと思います。」

via:富野語録名作選(エヴァンゲリオンについて)

1997年7月に発行された雑誌に収録されたインタビュー。
この段階ですでに「言い過ぎた」と反省している点、そして庵野監督が「エヴァンゲリオン」のような作品を作った一端を自分が担っていたと認識している点に注目されます。

ちなみにこのインタビュー記事は大塚ギチ氏が担当しているのですが、自分の思い出語りの端々に富野の発言をはめ込んでいく形式で書かれています。
富野の話を分解して、ストーリーに当てはめて構成するスタイルは「このアニメがすごい」の切通理作氏も同じなのですが、大塚氏の場合は「俺が俺が」という自分語りなのには辟易します。
こちらが読みたいのはインタビュアーの自分語りではなく富野の言葉なのです。

5.日経産業新聞1998年1月23日収録「デジタル時代を語る7 アニメ演出家富野由悠季氏」


『エヴァンゲリオン』と『もののけ姫』の2作品はアニメが30年間やってきたことの総決算をした、という気がしています。しかもその総決算は悪い結果で終わってしまったというのが私の印象です。娯楽作品の基本は楽しませることにあるはずです。なのに『もののけ姫』で言えば、なぜ環境問題が出てくるのか、なぜインテリの言葉を作品に張り付けるのか。確かに映像としてはきれいな部分があって良くやってるなという感じがしますが、娯楽作品としては評価できません

via:富野の語る97年アニメ業界総括 | ひびのたわごと

「エヴァンゲリオン」と「もののけ姫」をアニメ界の総決算的な位置づけで語っているのは今まであまり知られていなかったように思います。

6.月刊「LOOKER」99年1月号収録「Makin'g of "BRAIN"World,and富野由悠季ロングインタビュー」


1997年という年は『エヴァ』と『もののけ』の年でそれまでの作り方の総決算を、良いにつけ悪いにつけやってしまいました。だから98年以後、それを意識して作っていかなきゃならない年が来たと思っています。テレビアニメ35年の歴史が否応なく突き当たっている壁、渦中にあるんだと理解しているということです。

via:富野ヘアヌード | ひびのたわごと

ここでもまた、「もののけ姫」と「エヴァンゲリオン」を総決算的な位置づけにしています。

7.スーパーロボットジェネレーション―SUNRISE1977‐1987収録「富野由悠季インタビュー 21世紀の再生」



「イデオン」というタイトルに関しては、間違いなく僕の提案したもので、商標登録の問題もありまして「イデオン」で進んでしまいましたが、僕としてはイデを積んだもの、という物語のテーマとかがストレートに出ていて、あからさますぎて「本当にイデオンでいいのかよ」という嫌悪はありました。ただし、ロボットものでああいうことをさせてもらったということで、つくり手としての快感はありました。そうはいっても、あそこまで切れてつくっていいのかといえば、よくはありません。映画版に関しては、なぜやったかといえば明快な理由があって、ロボットものでも物語を発信できるんだよ、ということを日本の現職の映画関係者に知って欲しかった。アニメでロボットものしかやっていないけど、じつはこんなこともやっているんだよというのを、日本の映画界に対して手を挙げてみせたという作品です。だからあそこまで切れざるをえなかったし、あそこまで本気でやったから大きなスクリーンで見ることもできた。ただ「イデオン」をもってしても日本の映画人は富野に映画をつくらせなかったのが無惨だ、とあえて傲慢をかまします。

―アニメに対する認識は変わらなかったということなんでしょうね。

それで行き着いた先が「エヴァンゲリオン」と「もののけ姫」ですから。これは僕が言ったからって、傲慢ではないですよね?(笑)。観客というのは面白いものしか観ない。「もののけ」は興行一位になったけど、あれはあの年のファッションでしかなくて悲惨でした。

via:21世紀への再生 その2 | ひびのたわごと

1999年3月に発行された書籍に収録されていたインタビュー。
やはりここでも「もののけ姫」と「エヴァンゲリオン」がセットで、時代を象徴するものとして語られています。

【追記】8.富野由悠季全仕事収録インタビュー



―そういう(児童文学的)スタンスに富野さんが立たれているところが、『新世紀エヴァンゲリオン』を批判したことにも繋がるのでしょうか。

富野 そうです。今の、ましてこれだけエンタテイメントと言われるものが変なところで飽和していると、数に紛れて好きなことをやれます。これは本当の意味でのマスの視聴者なり読者、観客を意識しているとは思えません。だったら作品を作る意味がないと思っています。『エヴァンゲリオン』を作ったスタッフそのものに対しての非難というよりも、問題なのは、そういう作品をどう扱うのか、今自分たちが生かされている社会の中でどういう位置付けにするのかという、一番の原理原則のところを全く見ないで、年度売り上げのことしか考えていない大人が、寄ってたかってエヴァ本を作ったということが、すさまじく非道いことである。この本に関してもそういう匂いを少しは感じますけど(笑)。そういう中での本は作ってほしくないんです。今回の企画をOKしたのは、こういう部分のコメントこそ今現場にきちんと伝えていかなければいけないと考えたから許諾したのです。ひとりでしゃべっててもしょうがないでしょ?とりあえずは売り上げ論でもいいけど、目指すべきところを見誤らないでほしいといいたいのです。


ここでも、富野は作品そのものへの批判ではなく、それを無自覚に商売にしてしまった大人たちへの苦言を呈しています。


9.ブレンパワードスパイラルブック収録「富野由悠季監督インタビュー」


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氷川 竜介 藤津 亮太 編
復刊ドットコム
2015-05-23

『エヴァンゲリオン』と『もののけ姫』が、97年に発表されて、日本のアニメのいい区切りになったと思えたんです。その翌年に1度、作品を形にしておかないと『エヴァ』と『もののけ』が ずっと続くんじゃないのか、それはさせたくない、というのがありました。
 ですから『ブレン』はその2つに対しての回答とかなんとかではなく、現象を受けて僕が急いで作ったものなんだということに関しては、 いわれてもしょうがないですね。

1999年8月に発行された書籍に収録されていたインタビュー。
やはり、「エヴァンゲリオン」と「もののけ姫」をセットで語っています。
この2作品を総決算的な位置づけにして語っていることはあまり広まっていませんね。

10.戦争と平和


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富野 由悠季,大塚 英志,上野 俊哉,ササキバラ ゴウ
徳間書店
2002-05

富野 だから、今のロボット開発者という技術者も大嫌いですね。『エヴァ』を作った人たちと今のロボットを作っているスタッフはぼくにとって同列なわけです。

-つまり『エヴァ』のドラマツルギーとかエンディングのまとめ方が嫌いなわけじゃなくて、出発点から富野さんにとってはいやだったんですね。

富野 出発点以前の問題ですね。

上野 以前にお会いしたとき、病気の人間が病気のものを動かして喜んでるという、手法以前の問題であって、気持ちが悪いということをおっしゃってましたね。

大塚 おそらく日本のまんがマニアとかアニメマニアの多くが気持ちいいと思うところが、富野さんにとっては根源的に生理的にだめなんだというところが、すごくおもしろいですね。

-だから、『ガンダム』ができたのかなという気が、今しました。

富野 そうは言っても、たとえば作り手として庵野君が大嫌いかというとそうじゃなくて、作り手はそれでいいのです。ぼくが『エヴァ』のときに一番愕然としたのは、それに市民が乗ったのかもしれない部分で、これは社会が病気になってきているんじゃないかと思えました。

上野 世の中が、世間が乗ったということですね。

富野 そういう危機感を持ちました。だからそう意識はされていないのかもしれないけれど、その病理というのは社会の一部に間違いなく出ていると思います。


via:富野語録名作選(エヴァンゲリオンについて)

2001年12月に収録された大塚英志氏、上野俊哉氏、ササキバラゴウ氏による富野へのインタビュー。
ここでも「エヴァンゲリオン」そのものよりも、それに乗っかった社会の方を憂慮しています。

11.ガンダム者


4063301818
サンライズ,Web現代「ガンダム者」取材班
講談社
2002-10

それ(文明への懐疑がさらに病理的にひずんでいったこと)を僕が顕著に感じたのはいわゆる「エヴァ現象」の当時でした。日本のヴィジュアル産業は病膏肓に入ったなと。これはつくり手側の庵野秀明君やGAINAXに問題があると言っているんじゃないんです。彼らがあのような作品しかつくらない、あのような作品をつくってしまうだろうな、ということはわかっていた。どういうことかというと、彼らは鬱屈感、閉塞感のようにその時代の風俗が持ついびつなものを、エンターテインメントとして昇華させることができずに、咀嚼しきれなくなって屈した人々の集まりなんですよ。だから「新世紀エヴァンゲリオン」のような作品をつくった。あの作品にあるものを簡単に言ってしまうと精神の鬱屈なんですよ。その鬱屈にいかにカタルシスを迎えさせるか、あるいは自滅してしまうかという行為を作品に含めて描いていくという方法論は、現代のアートの世界が持つ多様な流れのひとつなんです。ただそれは広く消費されるエンターテインメントの表現ではなかったはずなのに、そうした病的な特殊なものを、ヨイショした普通の人があまりにも多かった。この現象はヴィジュアル業界の問題ではなくて、日本社会の中堅層を担う人々があまりにも疲れていて、本当にもう病気なんだなということを明らかにしたと思っています。

2002年7月に収録された富野のインタビュー。
やはり「エヴァンゲリオン」そのものよりもそれをもてはやして社会への疑義を投げかけています。

12.だいたいで、いいじゃない。解説「もっとだいたいでいいじゃない」



 だから、日本の現実は結構バランスがとれている……とはいいがたいけど、そのようなことから、サブカルチャー論的な論点を挙げると、商売ベースでやるしかないのよ、それでなにが悪いということになるから、『エヴァンゲリオン』が悪いなどということはない。
 が、ぼくがあんなものを作りやがって嫌いだ、というのは、商売として負けたからにすぎないのだが、それだけでない問題も孕んでいる。商売をするにしても、もうすこし上等なもの、好きになるにしても、もう少し趣味がいいものがあるだろう、ということだ。これについては、本書で大塚氏があの存在を歴史的にも認めようとしているらしい字句があるのだが、ぼくにとっては、あんなガキレベルの作品を作品としてもちあげて商売として利用する大人の不節操はみっともないでしょう、というアナログ的な怒りをもってしまう。こちらの年代が父的な時空にいるからではなく、なにも考えていない本能だけの衝動の作品なんかは、それはまだ作品以前でしょうということだ。しかし、多少時間が経って感じる『エヴァ』の存在は、作品というものはあのような出方をするんだよね、という納得もあって、それは認めるような心境にはなっている。
 そして、作品というものはあのように現れる、というところに、新しさを感じるのではなく、退廃や病理を感じるのだ。現実、芸術作品と言われているものの半分ぐらいは作者たちの病理の表出でしょう、と独断している。偏見でもある。
 が、すくなくともアニメという映画的なものが、そのようなものをテーマにしたものがあっていいにしても、商売にするという経済行為をする周囲の大人たちがよいしょするのはガキ以下だぞ、ということだ。それはサブカルチャーの行為でもなく、商業主義にしてはひどくないか、というところに行き着いてしまうのだ。

2003年に文庫化された際に解説を担当しています。
本文中で大塚氏がエヴァを持ち上げていることに対して、苦言を呈したくなったようです。
作品そのものよりも、それを持ち上げていることに対してやはり不快感を示していますね。

まとめ


以上11の発言を総合すると富野は「エヴァンゲリオン」という作品に対してつぎのように捉えていると思われます。

  • 「エヴァンゲリオン」という作品は病的であり、公共に向けた作品の体を成していない
  • 庵野監督がそのような作品を作った事自体は理解できるが、それを喜んで持ち上げた社会や金儲けのネタにする大人達は許せない
  • 「もののけ姫」とならんでテレビアニメーションの集大成となる作品であるが、悪い結果になってしまった

以上手持ちの資料から抜粋して記事にいたしました。
見落としはないかチェックはしましたが無いとは言い切れませんし、手元にない資料に発言があるかもしれません。
ここで取り上げていない発言がありましたらぜひ教えて下さい。

【追記】
この記事の公開後、ATENOBLOGの亜手さんから新たな情報をコメント欄にいただきました。ありがとうございます。

ガンダム神話Z



富野は『エヴァンゲリオン』の作品内容を「アニメおたくの精神カルテを見るような作品」と評する一方で、「エヴァンゲリオンの人気によって、久しぶりにロボットアニメの市場が揺さぶられた」と、昨今のアニメファンにおける、その存在の大きさを認めている。そして「ロボットアニメ市場をガンダムだけで支えるよりも有効であり、ガンダムにとってありがたい状況だ」とも語る。富野は作品人気の結果は素直に受け入れても、その人気のベクトルを市場の内側へと向かわせることに対しては否定的だ。なぜならば、「ロボットアニメの商圏の拡大に繋がらず、作品を普通の感覚で理解するものとは縁遠いものに導いてしまう」と考えているからだ。もしかすると、『エヴァンゲリオン』の中に『Zガンダム』の製作に臨んだ頃の恣意的だった当時の自分の姿を見たのかもしれない。とにかく、アニメ業界内外で影響力を持ってしまった『エヴァンゲリオン』だからこそ、富野はその作品の姿勢を素直に良しとできなかったのである。

この資料が上で紹介した資料と大きく異なる点は、富野が直接語った言葉ではないということです。
著者の猪俣氏を疑うわけではありませんが、出典や参考資料が明記されておらずどの時点でどのような媒体で語った言葉なのかがわからない以上、あくまでも二次的な資料としてあつかうべきだと私は判断します。
とはいっても、「作品」は認めなくても「影響」は認めるというその後の発言とは正反対の内容であり、96年段階での発言としては興味深いものといえるでしょう。
もし、この本で紹介されている発言のソースをご存じの方がいらっしゃいましたら教えていただけないでしょうか。
よろしくお願いいたします。


今後このブログで取り上げたい富野発言まとめ
「ガンダムZZ」LDライナー 富野由悠季×上野俊哉対談 その2
富野VS庵野

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Comment
2927
バーチャロン本の対談は
当時見た覚えがありますが、あれだけ妙に富野氏が
キレてるというか、イラついている印象がありますね。何故だろう・・・?

2928
Re: タイトルなし
定かではないのではっきりとは言い切れないのですが、後日亙氏が「富野先生はあのとき酔っておられたので…」といったフォローを入れていたような記憶があります。


2932
大変な力作、ご苦労様です。情報提供をお望みとのことで、僭越ながら紹介させていただきたいと思います。1997年に刊行された『ガンダム神話Z』(著:猪俣謙次)にて、ロボットアニメ市場における存在意義を肯定的に評価する発言が取り上げられています。もし、ご存じで、あえてはじいた資料でしたらご容赦を。

2933
Re: タイトルなし
情報ありがとうございます。
早速追記いたしました。

2934
エヴァンゲリオンとは謂ってみれば、ミニホールケーキのようなもの
ホールケーキはみんなで切り分けるが、決して一人で食べたりしない
自分が楽しむためのものだから、あえてミニホールケーキにしたのだ
だから「これショートケーキに見えないんだけど」と云われてしまう

私はそう想います

2947
少年富野さんがおねーちゃんに恋しちゃったからって
その富野さんが産み出したセイラやシェリルがリアルでも現実の女性じゃない。そもそも物語に出てくる女性は男の妄想フィルターがかかってる。
まあ、エロビデオで抜くのは健全だが、リカちゃん人形で抜く男に嫌悪感を持つ生理はわかるけど。

2956
冨野は単に口が悪いだけで、至って妥当な事しか言ってないな。
もののけ姫←自然の大切さを訴えただけのゴミ
エヴァ←キャラ萌えとメカだけで押し切った駄作

どちらもヒューマニズムが欠落しているので人間を感動させられない(中身が無い)

2960
「シン・ゴジラ」は潰したい

2961
やっぱり何言ってるのが言いたいのかわからん・・
こういう提言は必要なのはわかるけどね

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さとまる

  • 書いてる人:さとまる

  • 北関東在住のおっさん。
    富野信者、富野研究家ではありません。ただの富野資料蒐集癖。
    アルバトロスのZ級映画が大好物。
    ご連絡はdameganoあっとgmail.com(あっとは記号に直してください)までお願いします。

    このブログでは「富野作品論」のような難しいものは扱っておりません。それらをお求めの方のご期待に沿えることは難しいのでリンク先の各サイトを参照なさることをお勧めいたします。


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