ご存じの方も多いと思いますが原恵一監督との対談です。
キングゲイナーの制作を終えた富野と、劇場版しんちゃんの監督から降りた原氏。
2人の対談は示唆に富んだ内容が多く、個人的なお気に入りだったりします。
本来なら2〜3回に分けてもいい分量なのですが、
やはり一気に読んでいただきたいので1回にまとめてしまいました。
300号記念対談 富野由悠季×原恵一
”僕のライバルは、『クレヨンしんちゃん』とジブリです!”と言う富野監督の発言からアニメージュ300号記念の企画として『クレヨンしんちゃん』の原恵一監督との対談が実現した。当日、質問事項を用意してきた富野監督のリードで、古今東西の映画と劇場版『クレヨンしんちゃん』の話を中心に、熱い会話が展開された。
少年時代に好きだった映画をめぐるニ、三の事柄
富野 オフレコでいいんですが、原さん、今おいくつですか?
原 43歳です。別に隠してないので、オフレコでなくてもいいです(笑)。
富野 僕とひと回り半違う。ということは、中高生の頃というのは、どういう映画があった時代なんですか?
原 もろにアメリカン・ニューシネマ(注1)ですよ。リアルタイムじゃないですけど。うちは親が映画が好きだったんで、テレビの洋画劇場を親と一緒に観ていました。その時期に、アメリカン・ニューシネマとかいろいろ観る機会があって、それが未だに強い印象を残しているんです。『イージー・ライダー』とか『真夜中のカーボーイ』とか『セルピコ』とか『スケアクロウ』とか。
富野 だから、年の差を感じるんだね。僕は、そういう映画を避けた世代なんです。僕は特に避けたのね。アメリカン・ニューシネマというのはとても新しいもので、そこから手に入れるものはほとんどないと思いこんでいたから。だから今、タイトルを挙げられたような作品は、基本的にちゃんと観てないし、嫌いなんです(笑)。
原 もちろん、ハリウッドの大作時代の映画も、僕は好きですよ。
富野 いや、無理に合わせる必要はないんですよ。
原 いやいや。無理にじゃなくて、やっぱり好きな映画を一本挙げろと言われたら、洋画だと『アラビアのロレンス』(注2)になるんですよ。
デビット・リーン監督が本当に大好きで、勝手に心の師匠と呼んでいるんです。
富野 基本的に映画というのは、ああいうふうに作るしかないんだよねという感触がものすごくある人間です。それに、若ければアメリカン・ニューシネマが好きだったかもしれないけど、その前にヌーヴェル・ヴァーグ(注3)でひどい目に遭っているから。
原 フランス映画の?
富野 ひどい目にあったというのは、その波に乗れなかったということ。ヌーヴェル・ヴァーグの時に自分は撮れなかったという、出遅れた世代の敗北感というものがすごく強くてね。
―それは、観客としてではなくて、作り手の立場での敗北感ということですね。
富野 自分も作り手になるかもしれないという時に、ジャン=リュック・ゴダールあたりが同い年みたいな年齢で新しい映画を撮っていて、本当は僕もそれをやらなくちゃいけないのに、『鉄腕アトム』の仕事でしか食えないという敗北感が絶対的にありましたね。アメリカン・ニューシネマというのは、結局ヌーヴェル・ヴァーグのアレンジにすぎないと思うので、あの手の映画を観ると、ヌーヴェル・ヴァーグの時の挫折感が、どーんとくる。この流れに乗れない自分、テレビアニメしかやっていられない自分というのがすごく情けなかった。だかあら、その手の若手監督が作る映画が好きになるわけがないでしょ。
―では、富野監督が、少年時代に見て好きになった映画は、何ですか?
富野 強いて挙げれば、1950年代のできの悪いSF映画が好きだった。今の人に分かりやすいところで言うと、DVDになった『宇宙戦争』という映画があるんだけれども。
―ジョージ・パル監督の。
富野 そう。他にDVDになったもので言えば『禁断の惑星』(注4)みたいな映画が好きなのね。好きなんだけど同時に、「こういう映画を作る監督や演出家や役者は、なんて映画を作ることが下手なんだろう」って思いを、小学校5,6年の頃から感じてましてね。
原 ませてますね。
富野 僕が「映画が好き」というのは、基本的にそういうC級のSF映画が好きなだけで、それ以外のものは別に好きではない。かなり知能レベルの遅れた子どもだったんです。
原 ある意味、先行しすぎていたのかもしれないですね(笑)。
富野 先行していたという部分を半分ぐらい認めるのは、基本的に今いったような見方をしていたからなんですね。観た瞬間に、「なんでこんなに下手なんだ」「映画らしくないじゃないか」という感想が次々と頭の中から出てきて、本当に困ってしまった。最初の『ゴジラ』を7、8年前にきちんと観なおす機会があって、その時に中学の頃にうっすらと感じていた不満の原因が、はっきりわかったんです。つまり、監督がSF映画を作りたくて作っているのではないというのが見え見えなの。人間の芝居の撮り方と、ぬいぐるみの撮り方と、ミニチュアの撮り方と、合成の撮り方やカット処理を、全部それぞれの役割のスタッフに丸投げして、映画としてのバランスを何一つ考えていない。
原 僕なんかは、最初の『ゴジラ』は生まれる前の映画ですからテレビで観て、子どもだからっていうのもあるけど、見事にだまされましたね。その前にカラーの『ゴジラ』を何本か見ていたんですけど、最初の『ゴジラ』には、比べものにならないぐらいのリアリティを感じたんですよ。
富野 それはわかります。『ゴジラ』のミニチュアワークはこんなにうまかったんだと、正直驚きもしたんですよ。結局は、それを人間の芝居の部分にバランスよく組み込むことに関心を持っていない監督にかかると、映画というのはここまでひどくなるんだ、と知ったのが『ゴジラ』なんですよ。東宝あたりで監督を務められる頭のいい奴っていうのは、こういう子供じみた作品を本気になって作ろうとは思っていないという根性の悪さみたいなものがものすごく見えてたんです(笑)。逆に、ジョージ・パルはSF映画が好きで撮っているんだけども、気の毒なぐらい映画のシナリオ構成がわかっていないし、役者に演技をつけられない。
―どっちにしろ、SF映画としての完成度は低くなるということですね。
富野 SF映画という、絵空事をリアルに見せられるはずの媒体を、なんで世の中の大人たちは、こうまでいい加減に好き勝手作ってしまうんだろうという思いがあって、それが僕が、アニメを嫌いだ嫌いだと言いながら飽きずに作っていられる要因なんだと思います。映画関係者に対して少しはわからせてやりたいというのが、アニメ屋としての僕の最大のモチベーションなんです。
劇場版『クレヨンしんちゃん』のリアリティとギャグの問題
原 僕もね、最近よく思うんです。自分はアニメが好きなのかなあ、と。たぶん、アニメは好きじゃないんです。『クレヨンしんちゃん』という番組を作って、映画をやる機会にも恵まれて、「僕はアニメではなく映画が好きなんだ。映画を愛している」と改めてわかりました。
富野 僕もそう。だから、「アニメは大嫌いだ」という言い方をする。「映画を作ることしか考えていません」という気持ちがあるから、『しんちゃん』を応援したいという気分になったわけです。
原 ありがとうございます。
富野 『温泉わくわく大決戦』にしても『オトナ帝国の逆襲』にしても『戦国大合戦』にしても、映画として巧妙に組み立てられていて、傑作とは言いがたいけど、これほどの佳作はそうそうないと思ったんです。映画における映像の癖をこんなに知っているフィルムは、フィルムって言い方になっちゃうんだけども、そうそうないから、『千と千尋の神隠し』がアカデミー賞取るなら『しんちゃん』も取っていいと思う。
原 ははは(笑)。この発言はぜひ、アニメージュに書いておいてほしいです(笑)。
富野 ただ、アカデミー長編アニメ賞を『しんちゃん』にあげられない理由が一つだけある。作画がちょっと物足りない(笑)。
原 『しんちゃん』の劇場版って、おそらく世界一短いスケジュールで作られているアニメ映画だと思うんですよ。年1作作っているから、終わったらすぐ次の制作に取りかかれれば絵のクオリティも上げられると思うんですけど、僕が怠け者でね(笑)。毎年痛い思いをしているんですけど、全然学ばないんです。
富野 分かります。連続で作っていると、たいていそうなりますよ。でもあえて言うと、そこが是正されていたら『千と千尋』にも勝つよねっていうのがありますね。アカデミー賞は、一般的な目線にさらされての実証になるわけだから、絵は見やすいほうがいいわけです。
原 ありがとうございます。がんばります(笑)。
富野 アカデミー賞が取れるというのはお世辞じゃなくて、本当にそう思います。そろそろ、僕の質問に入っていいかしら。今回改めて3本並べて観て、僕が一番舌巻いたのは、丹波哲郎を上手に使っていたということ。
一同 (笑)。
富野 あれがやっぱり一番好きだな。
原 自分でも本当に、よくあの役を丹波さんでいこうと考えついたなと思うんですよ。
富野 どうやって思いつきました?それが一番疑問。
原 最初から丹波さんとは考えてませんでした。ある日、朝会社から帰ってきて、テレビつけっぱなしでこたつで寝ちゃって、朝のテレビの音で目が覚めたんですよ。そうしたら丹波さんが出ていて、ああ、この声だと思ったんです。ものすごく印象に残っているのが、プロデューサーが交渉した時、事務所の担当者の方が、丹波さん「その映画に俺が必要なら出る」と言っていたということです。
一同 (笑)。
原 今みなさん笑ったけど、僕にはそれがものすごく心に響いたんですよ。
富野 僕もそうですよ。それを聞いて、丹波哲郎という人は、ものすごく役者としてのステイタスが高い人だなと、改めて思いました。
原 僕にとっては、丹波さんの、「アニメ」じゃなくて、その「映画」に俺が必要なら出るというセリフは、生涯で聞いた大事な言葉の一つです。それまでは、『クレヨンしんちゃん』を自分が好きな実写映画とは切り離して考えていたんですけど、丹波さんの言葉がきっかけで、「ああ、俺は映画を作っているんだ」と思えたんです。
富野 もう一つ、『しんちゃん』の映画版は一貫して胸を打つ家族愛を描いているんだけど、原さんはご結婚なさっているの?
原 いえ、独身なんですよ。
富野 やっぱり(笑)。
原 そのへんのリアリティは、いまいちないということですか?
富野 いや、『しんちゃん』で家族愛を謳うんだったら、あれでいいと思います。このさっぱりさ加減は何なんだろう、原さんは独身かなって思っただけで(笑)。ただ、一般論で言えば日本PTA全国協議会の調査で『クレヨンしんちゃん』は、子どもに見せたくない番組の1位だということです。少なくとも映画版では、家族愛というのを徹底的に貫通していることは訴えておきたいですね。映画を観てもらえたら、お父さんお母さんも少しは反省するだろう、と思ってます。今回の作品はどうなんですか、出来は?
原 今回は、去年とは全く逆方向に振り切ったような、ギャグ、ギャグ、ギャグの映画になりました。
―今回は水島努さんが監督ですよね。
原 僕は絵コンテで参加しています。お話作りでアイディア出しをして、監督の水島と手分けして絵コンテを書きました。水島はすごくギャグに貪欲な人間なんでね。僕も彼に寄り添うようなかたちでやったら、同じシリースものとは思えないぐらい、去年とは逆方向に振り切った映画になりましたね。
富野 ギャグ、ギャグ、ギャグで逆方向に行ったというのはよく分からないけれども、要するに、面白いんですか?
原 僕は、子どもににとっては、ほんとうに面白いんじゃないかなと思いますね。
富野 なるほどね。僕にとってのギャグというのは、シリアスと同列なんですよ。どちらかが浮き立つことがないような演出を心がけていくものだと思っています。でも、『しんちゃん』はギャグありきですね。それは難しくて大変だろうと思うし、同時にうらやましくもある。仕事としては面白そうだけど、僕にはできません。僕がやったら、原監督のOKは絶対にもらえないからです(笑)。
原 とんでもない(笑)。原作マンガがあって、それを元にしているわけですから。
富野 でも、マンガは止め絵で、フィルムのように時間を管理する必要はないからね。
原 そうですね。アニメや映画の場合、ギャグでもアクションでも、やっぱりリズムが非常に大事だと思うんです。
富野 とても重要です。
原 ジャッキー・チェンがインタビューで、アクションに一番大切なものは何かと聞かれた時、リズムだって言っていたんですよ。宮本武蔵も『五輪書』で、剣術に一番大切なものは拍子であると言っている。拍子、すなわちリズムです。この二つの言葉は、アニメを動かすことにも通じるものがあると思います。
富野 アニメという「動く絵」は、基本的にリズムだけだと思うんです。逆に、日本映画の実写の監督は、果たしてどこまで視覚的なリズムというものを自覚して演出しているか、かなり怪しいと思っています。これは偏見ですが。でも、視覚的リズムを獲得できない人は、アニメだろうと実写だろうと撮ってほしくないという思いがありますね。
原 僕が、リズムリズムと唱えているのは、、自分にリズム感が乏しいから、常にそれを忘れないようにしないといけないと思っているからなんです。
富野 僕も、ファーストガンダムというのは、安彦良和くんというリズム感のある才能がいたから成功したんだと思っています。僕だけでは成功はなかったですね。それにしても『しんちゃん』は、僕流の言葉で言うと、映像の機能である省略と飛躍というのが、本当に見事ですね。カットの飛躍の論理が観ていて気持ちがよくて、本当はこれを盗まなくちゃいけないんだけど、盗めないと感じます。そういう悔しさがつくづくあって、打ちのめされています(笑)。さらに『しんちゃん』ですごいのが、あんなに大きなテーマの話を、どうして、ああもシンプルなストーリー構成にすることができるのかということ。その秘訣を教えてほしいんです。
一同 (笑)
富野 いや、僕には全くない部分だから。
原 僕も、確信があってやっているわけじゃないんですよ。やっぱり毎回ものすごく悩んで苦しんで絵コンテ書いているんで。でもまあ、こじつけになっちゃうかもしれないんですけれど、やっぱり僕は、親が映画が大好きで、さっきアメリカン・ニューシネマの話をしましたけど、その前の時代の大作の、きちんとストーリーが練られた映画も大好きなんです。そういう作品を子どもの頃から観ていたので、映画を作る時には、なんとなくそういうものと重ねて作業をしているのかもしれないですね。
富野 野原一家とか春日部市を使わなくちゃいけないという縛りが、物語をシンプルにしていくのにうまく機能しているんじゃないのかなっていう気がしないでもないんだけれど、それはどうなんでしょうか?
原 『しんちゃん』は、何でもありみたいに見えるけど、やっぱりやらなければいけない条件ていうのがあって、しんちゃんの家族構成と、原作マンガの持つ味わい、それは落としちゃいけない。それらと自分がやりたいことのバランスを常に考えて、作っているわけです。
富野 わかります。条件づけっていうものを、マイナス要因にとらえてしまう作り手が多いわけだけども、ぼくの経験から言えるのは、むしろそういう条件があるからこそ、物語をシンプルにしていく構造ができる。それがなかったら、とりとめもない物語になってしまうっていう感触ってものすごくあります。。
原 ありますね。それは本当に考えます。必ずやらないといけないものっていうのがいくつかあるんで、そこで頭を使わないといけないわけじゃないですか。それが結果としてプラスに働くということは、間違いなくあります。
富野 そう、使うわけです。僕の実感で言うと、自分の能力以上にうまくまとめられたということが、かなりあります。ただ、しょせんマンガだから、無条件で何でもやっていいんだって思っている部分っていうのはありますか、ありませんか。
原 やっぱり自分の中で、これはOK、これはNGっていうのは作っていますよ。無条件で作ったら面白いものになるかと言ったら、そんなことはないと思います。
富野 実写的に考えていくと、どうしてもシリアスになってくるものがあるために、さっき言ったようなカットとカットの飛躍みたいなことができなかったりするんだけど、「マンガだから、ええい、やっちゃえ」と思ったら、意外とうまくいった、みたいなことがあるんじゃないでしょうかってことです。この言い方は、悪口っぽく聞こえるかもしれないけど、そうではなくて、むしろ僕がアニメをやっていてよかったなと思える部分は、しょせん、絵空事なんだからっていうことで飛躍しちゃうと、意外と映画としてOKだったことがあったので、それを確認したかったということです。
もう一つだけそういうレベルで聞きたいのは、原監督は、どういうつもりでああいうストーリーを着想し、構成をしているんだろうっていうことです。社会の大人たちを叱るつもりなのかとか、自分のフラストレーションを吐き出しているだけなのか。
原 冒頭で言いましたけど、僕はとにかく、映画を作りたいと思っているんですよ。「映画とは何か?」と聞かれると、あまり分かりやすい説明はできないんですけど、長年、映画が好きでずっと観てきたので、自分が本当に敬意を払う映画に少しでも近づきたい。自分の中で乗り越えられない作家さんたち、もう死んだ人たちもたくさんいますけど、そういう人たちにも胸張って観てもらえるような映画を作りたいっていう。それが一番大きいですかね。
同世代に向けてのメッセージを込めて、映画は作られる
富野 この2、3年、「映画」ということに関して僕が考えていることで言うと、結局、映画ほど、物語の省略と飛躍が簡単にできる表現媒体はない。だから、それを使うと、いろいろな物語が作れるということなんです。逆にディテールを拡大して描くことができるという面もあって、映画は演劇以上にフレキシブルな媒体だと思っています。
原 映画って、すごく神秘的ですよね。僕もダビングしたりする時、本当にそう思うんです。映画って神秘的だなって。
富野 神秘的っていうのは、どういう部分に感じるんでしょう?
原 つまり、『しんちゃん』の場合はきちんとシナリオを作らないで、僕が適当に絵コンテで作っていく。それがどんどん生き物みたいな存在になっていくというのは、何度ヤッても、神秘的だなと思うんです。どんな映画でもアニメでも、作り始めた時には、最高傑作になれる可能性があるんですよ。
富野 あります。
原 それが作っていく過程で、いろいろな条件があったり、うまくアイディアが出なかったりして、どんどん現実的なものになっていくわけじゃないですか。最初はものすごい可能性があるんだけど、できあがるものは、1本繋がった細長いフィルムにしかすぎない。これはもう、どんな映画でも宿命じゃないですか。そのへんがね、本当につくづく神秘的だなと思うんですよね。
富野 僕は、もし監督が、自分の好きなままに作って気に入ってるとしたら、それはおまえが気に入っているだけであって、映画であるとは思わない。いろいろな過程で我慢する部分が100カ所くらいあってもいいんじゃないかと思っているんです。我慢がイヤで怒り狂うんだったら、独りで全部やれ、と。つまり、新海誠みたいにやれという言い方になります。彼の作品は良質のプライベートフィルムであって、誰かが出した予算を元に作る映画ではないからね。今、新海君が売れているっていうのは、むしろ彼を誤らせることになるかもしれないということを、大人はもう少し自覚しなくちゃいけないんだけれど。
原 結局、映画はいいところもあるし悪いところもあるっていうところで収まっちゃうんですよね。話題がちょっとずれるかもしれないですけど、富野さんにうかがいたかったのは、富野さんは常に自分より若い世代に向けてモノを作っているという印象があるんですけど、僕は、誰に一番映画を観てもらいたいかと考えると、やっぱり同世代なんですよね。だから、作る映画もどんどん老けていくしかないんだろうなっていう気がしている。富野さんはこれからも若い人を刺激するような映画を作っていきたいと思っていらっしゃるんでしょうか?
富野 若い人におもねるなんて年寄りにできるわけないんだから、彼らの波長に合わせて作るという間違ったやり方はしないようにしています。その上で、自分が年を取っていくごとに、若い人に向けて伝えられるものはまだあるのか、絶えず自問しています。辛いけど、それが、死ぬまで元気に生きられる秘訣なんだろうなと信じています。だけど、一番観てほしいのは同世代。「富野、おまえまだ現役で仕事やっているな」と、同世代に肩を叩いてもらいたいという思いがありますね。
原 僕らと富野さんの世代で決定的に違うのは、僕らの世代って、富野さんたちの世代ほど飢餓感がないですよね。たぶん富野さんにも飢餓感とか、アニメをやりたくてやっているわけじゃないんだよ、みたいな部分があったと思うんです。まぁ今でも、「毎日アニメに関わることができて幸せだ」みたいな人ばかりじゃないとは思うんですけどね。
富野 現に、『クレヨンしんちゃん』という映画に関して言えば、少なくとも同世代に向けてのメッセージが込められているわけだから、いいんじゃないんでしょうか。原さんの世代が持っている、飽食の時代に生きていたらこうなっちゃったみたいな部分を、きちんと自覚的に作品に埋め込めていければ、次の世代の目には間違いなくいい作品として映るだろうから、自分を卑下するひつようはないと思う。少なくとも原さんに関して言えば、スキルも問題意識もお持ちなんだから、がんばっていただきたいと言うしかないですね。まだお若くて、未来が燦然とあるわけですから。
原 未来なんてないですよ。
富野 僕こそ、もう未来ないのよ。この年で未来があるわけねえじゃねえか(笑)。
―富野監督が原監督と同じ43歳の頃は、何をやっていましたか?
原 それは聞きたいです。
富野 一番堕落していた頃だった。
―劇場版の『ガンダム』3部作や『イデオン』を終えられた頃ですね。
富野 そう。だから、次に何やったらいいか分からなくて、将来の展開が見えないところに来ちゃっていたんです。
原 一番最初の『ガンダム』は僕がちょうど20歳ぐらいの頃だったのかな。けっこう衝撃的でしたよね。「アニメでもこんなリアルなドラマができるんだ」という思いは確かにありました。
富野 映画のことしか考えていない僕にしてみると、いつまでも『マジンガーZ』と『ゲッターロボ』で我慢出来ないということはありました。それだけのことで周囲をだましだましやっていただけのことです。アニメでもリアルな物語をやれるんだっていうことを、他の誰かに承認してもらっていたわけではない。
原 富野さんが今言った、だますという部分。それがね、すごく大事なところだと思うんです。監督はいい意味で、お客さんやスポンサーをだましていくべきですよね。今、日本のアニメはたくさん本数があるけれど、だます作業をしてる作品はあまりないですよね。
富野 してないでしょ?
原 ごく限定された人たちに向けてつくられたアニメが何種類かあるという感じで、100本近くオンエアされていても、100通りのアニメになっているかっていったら、全然なってない。可能性を感じられないのに、アニメ誌はあらゆるアニメを誉める。
富野 誉めすぎですね。
原 もっとけなさないといけないと思うんですよ。そうじゃないと、若造はすぐ図に乗るから(笑)。実写の映画誌は叩くわけじゃないですか。つまらなきゃつまらないって。何でこんなに何でもかんでもほめるのかなって思うんですよ。メカと美少女出てりゃいいのかよって感じでね(笑)。
富野 いや、基本的にそれでしょ。でも、そういう記事を見てみんなが喜んでいるかというと、オタクを含め、アニメファンをなめてもらっちゃ困るっていう気分が、僕の中にはあるんです。「そこまで俺たちはバカじゃねえぞ」って思ってるはずです。とりあえず他に読むモノがないから、我慢してつき合っているだけで、アニメ誌はもう少しこらえ性を持つ必要があるんじゃないかな。分かってない人には、アニメなり映画なりを作らせないような誌面を作らないとね?そういう意味でも、原監督はしっかり取り上げていただきたいものです(笑)。
原 ありがとうございます(笑)。
脚注
1 アメリカン・ニューシネマ
60年代後半から70年代にかけて、ベトナム戦争に反発した反体制的な若者の心情を反映した映画の流れをいう。代表的な作品に、『イージー・ライダー』(69年 ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー共同監督)、『真夜中のカーボーイ』(69年 ジョン・シュレシンジャー監督)、『セルピコ』(73年 シドニー・ルメット監督)、『スケアクロウ』(73年 ジェリー・シャッツバーグ監督)がある
2 アラビアのロレンス
62年 イギリス映画 ピーター・オトゥール主演
第1時大戦下、アラブを守る英雄の姿を描いている。
3 ヌーヴェル・ヴァーグ
”新しい波”の意味で、50年代末からフランス映画界に起こった若い映画作家たちによる新しい動き。59年、ジャン=リュック・ゴダール監督が即興演出による「勝手にしやがれ」を発表して注目される。
4 禁断の惑星
56年 アメリカ映画 レッド・ウィルコックス監督。
シェイクスピアの「テンペスト」をベースにしたSF映画の傑作。ロボットのロビーが有名。
対談の中で出てきた映画作品をざっと紹介。
原監督の好きな映画
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富野の語った映画
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