オリジナルの肝 Vol.11 富野&良輔対談(2/5):物語と身体性
- 2008 12/02 (Tue)
◇Part2 物語と身体性
(上井草スポーツセンター前)良輔 今でもここで泳いでんでしょ、たまに。
富野 たまにじゃなくって、週に3日は行ってますね。
良輔 ええっ?!そう?今?あそう。じゃあ結構健康に気を遣っているんだ。
富野 あの、健康に気を遣っているんじゃなくって、これは違う。この年になって仕事…デスクワークをやっていく上で、一番大事なことっていうのは、机にかじりついていることじゃなくって、身体でものを考えるということを本当に必要だということを実感するようになったからなんで、この2・3年特にそれは意識している。そのことで感じることとか考えることはかなり違ってきた…というのはこれは年寄りの感覚かもしれないけど、それはありますね。
富野 臨床心理学を専攻してカウンセラーをしてらっしゃる方の話を聞いて、やっぱそれをとても痛感しているんだけれど、1960年代以後明らかに社会構造が変わってきて、身体と心の問題を一緒に考えることができなくなった男社会の問題ってのが今、この2・30年出ているんだっていうこと、それから子殺し・親殺し、それから幼女好みってのも含めてなんだけれども、やっぱりそういうものって関係している部分があるんじゃないかなという話を聞いて、改めてそういう感を強くしている。だからなの。せめて物を公共に対して発表するスタッフっていうのは、かなり意識して身体を使う、それから身体を使うことによって、気がつくとか、思い出すとか。忘れていることを手に入れるってことをしなくちゃいけないんじゃないのかなと本当に感じるようになりました。『ガンダム』とか『イデオン』作っている頃は、本当に勢いで…若さだけで仕事をしていたっていうのが、40過ぎそれからまして50過ぎたときに、かなりその身体的なことを自覚しなくちゃいけないんじゃないかというのが、初め頭の中でしか考えてなかったんだけども、やっぱりこの10年やるようになって、明らかにそれは無関係なものではないということがわかってきて、だからそれが今自分の作っているものに反映してるだろうと思うし信じているし、それから今度は我々のふた周りくらい若い人たちを見ていると、特にこの業界に来る人たちってのが、むしろ身体を動かすことが不得手なばっかりにこの仕事についているという傾向を持っている人が凄く多いのね。で、そういう人たちの表現っていうのがかなり問題があるんじゃないのかというのもやっぱりわかってきたし、頭でっかちというか……意識だけの作品が多すぎるっていうのは、特に子供に向けて発信する作品としてはかなり問題があるなってことは、本当に自覚するようになりました。
富野 えっとアニメだコミックだ、それから文学にも演劇にも言えるんです。言えるんだけれども、どうもこの……これは養老孟司先生に言わせると「意識中心主義」になりすぎた作品が物凄く多くなっているような気がするなっていうのは本当に感じるようになりました。
良輔 それ、直接的に自分…社会現象ってことじゃなくて自分の中で起こったことでもきっかけはあるの?
富野 ある。つい最近も実は「『ガンダム』より『イデオン』に感銘を受けました」というような発言を、40になるような人から聞いてきて改めて思うことがあるのは、自分にとって『イデオン』という作品が、意識だけで作っていた作品であったために、当時からもいわれていた通り「禁じ手」を使った物語で、ああいうふうにつくっちゃいけねぇよって言われてたような問題が、やっぱり骨身にしみるわけ。骨身にしみるんだけれど逆に言うと、意識としては40近くなった大人が「やっぱり『イデオン』は凄いですよね」って言われ方をするわけ。それで、そういうことを自分の中で経験しているし、自分に才能がないからああいうふうにしか作れなかったんだという意識もあるからなの。ものを作るっていうのをどういうふうに考えたらいいのかな?って考えてみたら、考えてちゃダメだよって。きちんと基礎学力もなくっちゃいけないし、その上で、今の話で言うと身体性がわかってないで作ってるから、あんなもの平気で作るんじゃないのかっていうことまで、自分の中で整理することができたから、今こうやって公共に対して「身体性を具備した物語を作りましょ」みたいなことがパッと言えるようになっちゃったことはある。
良輔 あの、『Z』なんかも直接的にはきっかけになったのかしら?前にほら…
富野 あ〜それはもうそれはもう全然なってるなってる。
良輔 僕の言葉にはさ、ないんだけど……あちょっと(道を)曲がりましょうか……僕はそういう言葉って自分で意識して使えたことがないんだけど、徹底的な敗北感を味わったというようなことをね、当時言ってましたよ。
富野 『Z』をつくるときに、結局ガンダムに戻るしかないのかという敗北感があって、その上で作るときに、要するにカミーユ・ビダンみたいなキャラクターはなぜ作ったかというと、これはもうはっきりしてて、だって「おまえらこんなふうにアニメの上の商売だけ考えていたらお前らみんな病気になるぞ。アニメだけ見てたらお前らみんな病気になるぞ」っていう徹底的なテーマがあって、それを今度作家性がないからなの。そういう社会性を認識したものを物語に付け加えるということをしたわけ。してみたら実際にそういう作品ってのは『Z』が僕にとっての印象でいうとものすごく嫌な作品だったわけ。やっぱりその……病気になってく話なんてやだよね、と思った。そのことが僕にとってのもう一つ大きな区切りになってて、デスクワークの中で考えている、それから僕程度の頭で考えているっていうのは結局こういうふうに病気嗜好に入っていくわけだし、うつ病になっていくわけだから、やっぱりそれはやめなければいけないとは思った。だけどやめなければいけないとは思いながらも、えっと……簡単に言っちゃうとね、能力が無い人間が「じゃ、次どういうふうにやるか」っていったときに本当にわかんなくなるわけ。
良輔 そんなにあの時悩んでたんだ。
富野 悩んでたよそりゃ。当たり前だよ。良輔 これどうぞ(お茶を手渡す)いや、俺はそんなに自分が落ち込むほど悩むってことが…
富野 っていうよりもね、それに関して言うと悩みながらこういう悩み方もあるのよ。ただ自分のうつ病的なことに悩んでいただけじゃなくって、要するに一流になりたかったわけ。有名になりたかったわけ。そうすると、これでは有名になれない、これでは一流になれない、こんなような作り方しかしてなければ、やっぱし……あ、僕の世代と言うとわかりやすい作家名があるんだけれど、司馬遼太郎にはなれないんだよね。
良輔 司馬遼太郎かぁ
富野 俺はやっぱね司馬遼になりたかったわけ。それで…
良輔 初めて聞いたねそれは。司馬遼という言葉はね。意外だよね。
富野 映画でいえば黒澤明を超えたい。こっちはレトリックとして分かりやすいと思うけど。やっぱり司馬遼になりたい。だけどそのために必要なことはそれこそ司馬遼を読めば分かるとおりで、やっぱりさ、基礎学力が要るのよね。(突然後向きになって)今、風よけで後ろ向きに歩きます。…そういう基礎学力のないまま、『ガンダム』だ『イデオン』だってやってきちゃったために、SFの中でのとか、ロボットものの中での基礎学力ってなんなんだろうかってわからなくなった。というのが、僕にとっての『ダンバイン』以後の仕事にもなっていっただろうし、業界のことで言えば、『エルガイム』みたいなものもつくらなくちゃいけない、みたいなところでなんてのかなぁ…
(つづく)
ブレンパワード以降の白富野が「芸能」という言葉とともに、
使う機会の多い「身体性」という言葉。
これについてはオイラも北里大の講演会で直接質問したのだが、
具体例をあげて「こういうことだよ」と解説しているのは、これが一番かもしれない。
要するに「頭でっかちになるな、考える前に飛べ」ってことでしょ?
あれ?違うかな?
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