超(いいかげん)訳
- 2005 05/13 (Fri)
昨日の記事に書いたとおりニューズウイークで取り上げられていた、
「Wrong about Japan」の富野インタビュー部分を拙い英語力ながら翻訳してみました。
途中意味が通じない部分があると思いますが、
それは作者の文章構成力の問題でも、
御大がデムパなことを語っているからでもなく、
ひとえに私の英語力不足に帰します。
まずはこの本がどういう本なのか書評をご覧になってから読み進みください。
サンライズスタジオは特に何の変哲も無いオフィスビルにあった。我々がビル2Fのスタジオに案内されるとまず12フィートのプラスチックのロボットが出迎えてくれた。ここにきてようやく私は息子の顔が深く秘められた喜びを明らかにしようとして、かえって全くの無表情なものになっていることに気がついた。我々がこの場所にいようと誰が信じたであろうか?友人たちの誰がこんなことが可能だと思ったであろうか?
我々は応接室に案内され、そこで今日集まる予定の7人が全員集まることになった。少年1人と大人6人・・・その中でも最も目立っていたのが富野由悠季、彼自身であった。60歳にしては若々しく、スリムで、禿げていて、大きな眼鏡をかけていて・・・それらの好奇心をそそるような組み合わせが彼を芸術家に・・・そのあからさまな感受性がかえって彼を不屈の意志を持った芸術家に見せている。
テーブルを運んできた私の友人のポールは、日本語をとても流暢に話し、日本語をスラスラ読み書きできるだけでなく、アニメやマンガにもとても深く精通している。
加えてその場には、機動戦士ガンダムに関する内容的にも物理的にも巨大な書籍「ガンダムオフィシャルズ」を含む多くの印刷物を発行している大手出版会社、講談社の編集長である入江さんも同席していた。彼はモップのように無造作なヘアスタイルで、そのような今まであったことのある誰よりも明らかに親切で、私が語彙不足を痛感するほどの知識を身につけていた。
またサンライズの重役二人(名刺を頂いたのだが例によって残念なことに無くしてしまった)も同席した。ひとつだけ間違いなく言えることは、ここ々に我々皆が集まった理由は(私人としての)富野さんではなく(アニメ監督としての)富野氏にあうことである。
チャーリーは以前買った富野氏の本に、サインをしてもらえることになり、いかめしく奥ゆかしく感謝して極太の金色のペンでサインをしてもらっていた。このことは彼にとってなによりのご褒美になるだろう。
そんな息子に富野氏は"So you like Gundam?"と英語で聞いてきた。
「はい」と息子。
彼にとってみればこれだけでも十分満足なことであったが、富野氏はまるで5年生の先生のように彼に畳み掛けてきた。チャーリーが正確にはガンダムの何が好きなのかを。
6人の大人の視線が彼の上に注がれた。
「話しの流れが好きです・・・なんて複雑なんだろうって」と好きな点をあげた後で彼は口ごもった。富野氏は彼を勇気付けるようにうなづいた。3台のテープレコーダーが回り始めた。
「それからキャラクターも一筋縄ではいかないなって・・・」そこまで言ってから息子は助けを求めて私の方を向いた。
それを受けるように私は富野氏にいつからアニメやマンガを作ることを考え始めたか質問した。
私が話し始めると、あらかじめ提出しておいた質問―その大部分は今では忘れてしまったが―を和訳したものがテーブルの上に配られた。
富野氏は伏し目がちになりながら、耳障りの良い柔かく音楽的な声で、自らのアニメーションの原理原則について話し始めた。
「富野氏は現在アニメーションを作りたいとは考えたくないそうです」
ポールが彼のギリシア訛りや長い日本生活を感じさせないほど英語らしい英語で通訳していく。
「富野氏はただ映画を作りたいだけなのです」
富野氏は私の質問を封じるように椅子の上で数インチ左ににじり寄ってから1〜2分話した。
それからポールがようやく私に話しはじめた。
「ガンダムは単におもちゃ屋の宣伝フィルムとして企画されました。そこには何のインスピレーションもありませんでした。彼がガンダムを制作したのはそれが仕事だったからにすぎません。実際ガンダムを作る前にもおもちゃ屋の宣伝フィルムでしかない『ロボットもの』をいくつも作ってきました。」
チャーリーはこのことでとてもがっかりしたかもしれないが、それを表情に出すことはなかった。
富野氏はさらに説明を続け、ポールがそれを私に伝えていった。
「ご存知のように冨野氏はSFに対して非常に興味をもっておられます。だから彼はこれらおもちゃの宣伝用のロボットを使って映画のようなものを作りたかったんです。それが彼の仕事なのです。しかし富野氏がガンダムという作品を作りたいと企画したとき、彼が出した条件はロボットを20mの大きさにするというだけのことでした。
しかしスポンサーのおもちゃメーカーは彼に100mのロボットを出すように要求してきました。」
それが良いことか悪いことなのか私にはわからなかったが、質問する機会を逸してしまった。
「それは富野氏に論理的な問題をもたらしました。100mのロボットは非常に重いのです」
"Too heavy"と富野氏が英語で付け加えた。
「もし普通のアスファルトの上をそんなロボットが立って歩いたら大問題です。それにまた別の問題もありました。おもちゃメーカーは物語の舞台を地上にするように求めましたが、富野氏は宇宙にしたかった」
"In the universe"と富野氏が強調した。
「しかしおもちゃメーカーも頑固でした。」ポールがすぐに通訳する。「彼らはロボットの巨大さを表現するために、地上を舞台とすることを求めているのでした。そこで富野氏は妥協し、山や川など地上に似せた風景を持つスペースコロニーを作り出したのです。しかしそれでもおもちゃメーカーにとっては十分でなく、最終的にはガンダムを地上へ下ろすことを強いられました。もちろん富野氏は抵抗しました。富野氏の考えではモビルスーツというものは地上では正常に運用することはおろか、移動することすら不可能だからです。」
この一連の出来事が富野氏にとって何を意味したのだろうか?私には推察することすら出来ない。ともかくも富野氏は私の質問リストに目を滑らせ、右に数インチにじり寄って原語で私の二つ目の質問を読んだ。
「チャーリーと私はいつも機動戦士ガンダムを興味深く見ています。けれども私たちは絶えず私たちには欠けているもの・足りないものがあるのではないかと探してしまいます。日本の視聴者には明白なことであっても、我々には手の届かない何かがあるのではないでしょうか?」
富野氏は目を閉じ、「う〜む」と長いこと唸ってから答えはじめた。
「実はあなたたちに足りないものなんてないんです。」ポールが通訳していく。「なぜなら富野氏は作品をつくるときにはそのようなものが全く存在しないように意識して作っているからです。例えば富野氏は民族性を持たせることを避けようとしましたし、多種多様な文化や価値観に基づくそれぞれの「常識」を、人類全体が共有しうる「一般的」「普遍的」なものに置き換えようとしたのです。」
ハァ?
「富野氏はなんらかの民族を特定しうる全ての要素を取り除こうとしたのです。」
「おそらく、富野氏は『日本的な普遍性』のことを言っているのではないだろうか?」そう私は提言した。
富野氏は笑顔をうかべるほど和やかだった。
私はさらにしつこく言い寄った。「でも一度キャラクターが話し始めると・・・『日本語』を話し始めると、確実にその話し方自体が何か社会的な意味を伝えるはずではないですか?もしそうなら我々ガイジンにはそれを聞き取ることができません。キャラクターの声はその出身地や教育水準を示唆してはいないのですか?」
富野氏はさも私が何もわかっていないと言わんばかりに「ああぁ」とこぼした。。
「富野氏はこう考えています。」ポールが言った。「そのようにあなたが考えるのは国民性に対して関心を抱いているあなた自身の性格といったようなものではないでしょうか。富野氏に関しては、あなたがこだわるそのようなものを完全に排除しようとしました。富野氏は常にキャラクターを作る際には標準的に、普遍的に、そして地域や国家や民族を連想させないように心がけました。」
「富野氏には賛同していただけないとは思うのですが」私はこう切り出した。
「あなたが戦争もののストーリーを作り出したことは紛れも無い事実です。そしてその手の物語は子どもの心に大きな影響を与えます。その一方で、あなたは子どもたちに権力意識を与えました。子どもたちはガンダムのパイロットたちを自己と同一視して、大きな力を得るのです。しかし実際に子どもたちが戦場にいたら、彼らはおびえて、永遠にトラウマにすらなるかもしれません。」
「そうですね」富野氏がポールを介して説明した。
「おもちゃメーカーの商品―モビルスーツや武器など―が登場するストーリーをつくるには、軍隊を絡めたストーリーが不可欠です。もしあなたが軍隊と兵器を持っていたら、戦うことが必要になるでしょう。そしておもちゃメーカーはキャラクターを子どもにすることを求めました。おもちゃを買うのは子どもたちだからです。しかし戦場と子供と言うテーマがに富野氏が興味を持っているテーマの一つであることは事実です。彼は第二次世界大戦のことをまだ覚えています。もちろん父親やその友人たちから聞いた話ですが。あの頃の日本は16歳になれば兵学校へ行かなければならなかったし、17歳になれば戦場へ駆り出されました。少年は13〜15歳の間に大人になります。あなたもサムライが13歳くらいの若さで戦場で戦っていたのを覚えているはずでしょう。」私たちの通訳はまだ話し続ける。「歴史的に見ればそのような若さの少年が戦争の一端を担うのは決して珍しいことではありませんでした。実際に、過去二度の世界大戦は子どもたちが参加しない初めての大きな戦争でした。そしてそれはおそらく大人による誤ちでした」
「それはどういう意味ですか?」
「戦争に参加することが出来るということはその人の市民権の発動になります。もしあなたが大人ならあなたは市民の責任としてそうするでしょう。しかしあなたが子どもだったならあなたはただ犠牲になるか裏切り者になるかのどちらかでしょう」
これはあまりにも日本的に私には思われた。私は富野氏に話が飲み込めないことを伝えた。
「『犠牲』と『裏切り』はどちらも罪となります。しかし『市民権』は公共の責任と義務を伴います。」
この答えは少なからずショックであった。しかし喜ばしくもあった。やはりここにチャーリーと私がアニメの中に深く埋もれているとにらんでいた価値観の激しい相違の証拠があった。富野氏が「存在しない」と私に語った全てのものがここにあった。
「いいですか」ポールが再び訳した。「第二次世界大戦以来、我々は戦争の中で子どもたちに何が起こったか、子どもたちがどのような役割を担ったかということを完全に忘れてしまいました。ですから富野氏には子どもたちがストーリーの中で戦闘員になることに対する不安は全くありませんでした。歴史の中のいたるところで見ることができることだからです。市民の責任・・・全ての市民が負うべき責任はそれほど大事なものなのです。重責なのです。」
私はポールが富野氏の言葉を訳しているのか、それとも自分自身の考えを語っているのかわからなくなり少し困惑していた。
「そしてそれこそが富野氏がガンダムに取り入れたかったことなのです。同時に子どものキャラクターがモビルスーツに乗るとき、それはカッコよくも、論理的でも、合理的でもないけれど、子どもはヒーローになれるのです。それは輝かしく、名誉なことなのです。」
「日本では名誉が社会の中で重要な役割を担ってきました。あなたはそのことがガンダムと言う作品を非常に日本的な作品にしたと思われますか?」と私は聞いた。
「えぇ」
「ではもしあなたが(アニメ監督ではなく)普通にガンダムを見ている日本人だったら、一度ならずサムライを連想するでしょうか?」
「いいえ」
「しないんですか?」私は信じられないように聞き返した。
富野氏は目を閉じて首を振った。
この後インタビューは続いたようですが、
残りは"The interview, of course, continued."だけで済まされてしまっているので省略しました。
「Wrong about Japan」の富野インタビュー部分を拙い英語力ながら翻訳してみました。
![]() | Wrong about Japan: A Father's Journey with His Son Peter Carey Random House Inc (T) 2005-01-31 by G-Tools |
途中意味が通じない部分があると思いますが、
それは作者の文章構成力の問題でも、
御大がデムパなことを語っているからでもなく、
ひとえに私の英語力不足に帰します。
まずはこの本がどういう本なのか書評をご覧になってから読み進みください。
サンライズスタジオは特に何の変哲も無いオフィスビルにあった。我々がビル2Fのスタジオに案内されるとまず12フィートのプラスチックのロボットが出迎えてくれた。ここにきてようやく私は息子の顔が深く秘められた喜びを明らかにしようとして、かえって全くの無表情なものになっていることに気がついた。我々がこの場所にいようと誰が信じたであろうか?友人たちの誰がこんなことが可能だと思ったであろうか?
我々は応接室に案内され、そこで今日集まる予定の7人が全員集まることになった。少年1人と大人6人・・・その中でも最も目立っていたのが富野由悠季、彼自身であった。60歳にしては若々しく、スリムで、禿げていて、大きな眼鏡をかけていて・・・それらの好奇心をそそるような組み合わせが彼を芸術家に・・・そのあからさまな感受性がかえって彼を不屈の意志を持った芸術家に見せている。
テーブルを運んできた私の友人のポールは、日本語をとても流暢に話し、日本語をスラスラ読み書きできるだけでなく、アニメやマンガにもとても深く精通している。
加えてその場には、機動戦士ガンダムに関する内容的にも物理的にも巨大な書籍「ガンダムオフィシャルズ」を含む多くの印刷物を発行している大手出版会社、講談社の編集長である入江さんも同席していた。彼はモップのように無造作なヘアスタイルで、そのような今まであったことのある誰よりも明らかに親切で、私が語彙不足を痛感するほどの知識を身につけていた。
またサンライズの重役二人(名刺を頂いたのだが例によって残念なことに無くしてしまった)も同席した。ひとつだけ間違いなく言えることは、ここ々に我々皆が集まった理由は(私人としての)富野さんではなく(アニメ監督としての)富野氏にあうことである。
チャーリーは以前買った富野氏の本に、サインをしてもらえることになり、いかめしく奥ゆかしく感謝して極太の金色のペンでサインをしてもらっていた。このことは彼にとってなによりのご褒美になるだろう。
そんな息子に富野氏は"So you like Gundam?"と英語で聞いてきた。
「はい」と息子。
彼にとってみればこれだけでも十分満足なことであったが、富野氏はまるで5年生の先生のように彼に畳み掛けてきた。チャーリーが正確にはガンダムの何が好きなのかを。
6人の大人の視線が彼の上に注がれた。
「話しの流れが好きです・・・なんて複雑なんだろうって」と好きな点をあげた後で彼は口ごもった。富野氏は彼を勇気付けるようにうなづいた。3台のテープレコーダーが回り始めた。
「それからキャラクターも一筋縄ではいかないなって・・・」そこまで言ってから息子は助けを求めて私の方を向いた。
それを受けるように私は富野氏にいつからアニメやマンガを作ることを考え始めたか質問した。
私が話し始めると、あらかじめ提出しておいた質問―その大部分は今では忘れてしまったが―を和訳したものがテーブルの上に配られた。
富野氏は伏し目がちになりながら、耳障りの良い柔かく音楽的な声で、自らのアニメーションの原理原則について話し始めた。
「富野氏は現在アニメーションを作りたいとは考えたくないそうです」
ポールが彼のギリシア訛りや長い日本生活を感じさせないほど英語らしい英語で通訳していく。
「富野氏はただ映画を作りたいだけなのです」
富野氏は私の質問を封じるように椅子の上で数インチ左ににじり寄ってから1〜2分話した。
それからポールがようやく私に話しはじめた。
「ガンダムは単におもちゃ屋の宣伝フィルムとして企画されました。そこには何のインスピレーションもありませんでした。彼がガンダムを制作したのはそれが仕事だったからにすぎません。実際ガンダムを作る前にもおもちゃ屋の宣伝フィルムでしかない『ロボットもの』をいくつも作ってきました。」
チャーリーはこのことでとてもがっかりしたかもしれないが、それを表情に出すことはなかった。
富野氏はさらに説明を続け、ポールがそれを私に伝えていった。
「ご存知のように冨野氏はSFに対して非常に興味をもっておられます。だから彼はこれらおもちゃの宣伝用のロボットを使って映画のようなものを作りたかったんです。それが彼の仕事なのです。しかし富野氏がガンダムという作品を作りたいと企画したとき、彼が出した条件はロボットを20mの大きさにするというだけのことでした。
しかしスポンサーのおもちゃメーカーは彼に100mのロボットを出すように要求してきました。」
それが良いことか悪いことなのか私にはわからなかったが、質問する機会を逸してしまった。
「それは富野氏に論理的な問題をもたらしました。100mのロボットは非常に重いのです」
"Too heavy"と富野氏が英語で付け加えた。
「もし普通のアスファルトの上をそんなロボットが立って歩いたら大問題です。それにまた別の問題もありました。おもちゃメーカーは物語の舞台を地上にするように求めましたが、富野氏は宇宙にしたかった」
"In the universe"と富野氏が強調した。
「しかしおもちゃメーカーも頑固でした。」ポールがすぐに通訳する。「彼らはロボットの巨大さを表現するために、地上を舞台とすることを求めているのでした。そこで富野氏は妥協し、山や川など地上に似せた風景を持つスペースコロニーを作り出したのです。しかしそれでもおもちゃメーカーにとっては十分でなく、最終的にはガンダムを地上へ下ろすことを強いられました。もちろん富野氏は抵抗しました。富野氏の考えではモビルスーツというものは地上では正常に運用することはおろか、移動することすら不可能だからです。」
この一連の出来事が富野氏にとって何を意味したのだろうか?私には推察することすら出来ない。ともかくも富野氏は私の質問リストに目を滑らせ、右に数インチにじり寄って原語で私の二つ目の質問を読んだ。
「チャーリーと私はいつも機動戦士ガンダムを興味深く見ています。けれども私たちは絶えず私たちには欠けているもの・足りないものがあるのではないかと探してしまいます。日本の視聴者には明白なことであっても、我々には手の届かない何かがあるのではないでしょうか?」
富野氏は目を閉じ、「う〜む」と長いこと唸ってから答えはじめた。
「実はあなたたちに足りないものなんてないんです。」ポールが通訳していく。「なぜなら富野氏は作品をつくるときにはそのようなものが全く存在しないように意識して作っているからです。例えば富野氏は民族性を持たせることを避けようとしましたし、多種多様な文化や価値観に基づくそれぞれの「常識」を、人類全体が共有しうる「一般的」「普遍的」なものに置き換えようとしたのです。」
ハァ?
「富野氏はなんらかの民族を特定しうる全ての要素を取り除こうとしたのです。」
「おそらく、富野氏は『日本的な普遍性』のことを言っているのではないだろうか?」そう私は提言した。
富野氏は笑顔をうかべるほど和やかだった。
私はさらにしつこく言い寄った。「でも一度キャラクターが話し始めると・・・『日本語』を話し始めると、確実にその話し方自体が何か社会的な意味を伝えるはずではないですか?もしそうなら我々ガイジンにはそれを聞き取ることができません。キャラクターの声はその出身地や教育水準を示唆してはいないのですか?」
富野氏はさも私が何もわかっていないと言わんばかりに「ああぁ」とこぼした。。
「富野氏はこう考えています。」ポールが言った。「そのようにあなたが考えるのは国民性に対して関心を抱いているあなた自身の性格といったようなものではないでしょうか。富野氏に関しては、あなたがこだわるそのようなものを完全に排除しようとしました。富野氏は常にキャラクターを作る際には標準的に、普遍的に、そして地域や国家や民族を連想させないように心がけました。」
「富野氏には賛同していただけないとは思うのですが」私はこう切り出した。
「あなたが戦争もののストーリーを作り出したことは紛れも無い事実です。そしてその手の物語は子どもの心に大きな影響を与えます。その一方で、あなたは子どもたちに権力意識を与えました。子どもたちはガンダムのパイロットたちを自己と同一視して、大きな力を得るのです。しかし実際に子どもたちが戦場にいたら、彼らはおびえて、永遠にトラウマにすらなるかもしれません。」
「そうですね」富野氏がポールを介して説明した。
「おもちゃメーカーの商品―モビルスーツや武器など―が登場するストーリーをつくるには、軍隊を絡めたストーリーが不可欠です。もしあなたが軍隊と兵器を持っていたら、戦うことが必要になるでしょう。そしておもちゃメーカーはキャラクターを子どもにすることを求めました。おもちゃを買うのは子どもたちだからです。しかし戦場と子供と言うテーマがに富野氏が興味を持っているテーマの一つであることは事実です。彼は第二次世界大戦のことをまだ覚えています。もちろん父親やその友人たちから聞いた話ですが。あの頃の日本は16歳になれば兵学校へ行かなければならなかったし、17歳になれば戦場へ駆り出されました。少年は13〜15歳の間に大人になります。あなたもサムライが13歳くらいの若さで戦場で戦っていたのを覚えているはずでしょう。」私たちの通訳はまだ話し続ける。「歴史的に見ればそのような若さの少年が戦争の一端を担うのは決して珍しいことではありませんでした。実際に、過去二度の世界大戦は子どもたちが参加しない初めての大きな戦争でした。そしてそれはおそらく大人による誤ちでした」
「それはどういう意味ですか?」
「戦争に参加することが出来るということはその人の市民権の発動になります。もしあなたが大人ならあなたは市民の責任としてそうするでしょう。しかしあなたが子どもだったならあなたはただ犠牲になるか裏切り者になるかのどちらかでしょう」
これはあまりにも日本的に私には思われた。私は富野氏に話が飲み込めないことを伝えた。
「『犠牲』と『裏切り』はどちらも罪となります。しかし『市民権』は公共の責任と義務を伴います。」
この答えは少なからずショックであった。しかし喜ばしくもあった。やはりここにチャーリーと私がアニメの中に深く埋もれているとにらんでいた価値観の激しい相違の証拠があった。富野氏が「存在しない」と私に語った全てのものがここにあった。
「いいですか」ポールが再び訳した。「第二次世界大戦以来、我々は戦争の中で子どもたちに何が起こったか、子どもたちがどのような役割を担ったかということを完全に忘れてしまいました。ですから富野氏には子どもたちがストーリーの中で戦闘員になることに対する不安は全くありませんでした。歴史の中のいたるところで見ることができることだからです。市民の責任・・・全ての市民が負うべき責任はそれほど大事なものなのです。重責なのです。」
私はポールが富野氏の言葉を訳しているのか、それとも自分自身の考えを語っているのかわからなくなり少し困惑していた。
「そしてそれこそが富野氏がガンダムに取り入れたかったことなのです。同時に子どものキャラクターがモビルスーツに乗るとき、それはカッコよくも、論理的でも、合理的でもないけれど、子どもはヒーローになれるのです。それは輝かしく、名誉なことなのです。」
「日本では名誉が社会の中で重要な役割を担ってきました。あなたはそのことがガンダムと言う作品を非常に日本的な作品にしたと思われますか?」と私は聞いた。
「えぇ」
「ではもしあなたが(アニメ監督ではなく)普通にガンダムを見ている日本人だったら、一度ならずサムライを連想するでしょうか?」
「いいえ」
「しないんですか?」私は信じられないように聞き返した。
富野氏は目を閉じて首を振った。
この後インタビューは続いたようですが、
残りは"The interview, of course, continued."だけで済まされてしまっているので省略しました。
あと興味深いと思ったのがガンダムオフィシャルズの編者、
赤い網タイツ先生こと皆川ゆか氏にインタビューした次章。
「活動的で筋肉質な女性」
「女性?そうは思わない」
「トランスセクシャルジャパニーズオタク」
と言いながら代名詞は「she」になっている。
ジェンダー社会というやつでしょうか?
赤い網タイツ先生こと皆川ゆか氏にインタビューした次章。
「活動的で筋肉質な女性」
「女性?そうは思わない」
「トランスセクシャルジャパニーズオタク」
と言いながら代名詞は「she」になっている。
ジェンダー社会というやつでしょうか?
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Comment
いやあ、原書訳しちゃうんだから凄いなあ。
僕は英語がまるっきり駄目なのでこういうことの出来る人は無条件に尊敬してしまいます。
この作品は純粋なノンフィクションではなく、小説として読むべきなのですかね。
書評を見る限りでは、単なるノンフィクションとして読み解くのも、なんだか危険なような気がします。
もし、そうだとしても、富野監督がコスモポリタンな映像を目指していたとしても、出来上がったフィルムには日本人特有のものが込められていた、という指摘は大変面白かったです。
と、いうよりその指摘を否定しようとする監督がいいですね。
確かにあのフィルムからは特定の民族や国家を連想させるものは少なかったですが、それは単に表層上・記号的な部分でしかなかったのではないか、という作者の指摘は頷けるものがあります。
登場人物達のメンタルな部分というのはやっぱり、日本人的だったと思うので。
いや、何はともあれ、お疲れ様でした。
週末、ゆっくりお休み下さい。
子犬さん、お疲れさまでした。ここまで報告してくださり、ありがとうございます。英語はだめなので。
あまりよくはわかりませんが、ガンダムを作ったとき、海外でも見る人がいるとは、思わなかったんじゃないですかね。
そしていろいろな意味で、ターンAガンダムをつくり、海外を視野に入れ、主人公のロランを黒人ぽくしたのですかね。
だけどオリジナルの肝をみて、富野監督が、ガンダムはターンAで終わったような言い方をしていましたが、あの後半の終わり方では納得できないです。(いくら映画の事を考えていたとしても。)
また富野監督のガンダムが、見てみたいと思います。
拙い翻訳のせいで読みにくい文章になってしまいすみませんでした。
ニュアンスとして意味をつかむのと、日本語として翻訳するのは全く別物なのだなと今回のことで実感いたしました。
>小林さん
一応インタビュー部分はノンフィクションです。その他日本での生活部分の描写に架空のタカシが登場しています。実はこの本、このインタビュー部分を除くとまだ3章まだしか読んでいないのですが、パラパラ見ていたらラストの方で宮崎監督にも面会しています。面白いのはその時架空の少年タカシに「富野監督に会っておきながら、宮崎監督にも会うのは富野監督に対して不誠実(disloyal)だ」と非難させているんですよ。この二人の関係性にまでわかった上での発言なのかは不明ですが・・・。
>マッコイさん
やはり小林さんもおっしゃる通り、富野監督としては徹底的に排除したつもりでも、文化を共有しない外国人から見るとどこか根っこは日本人的な価値観に繋がってしまっているんでしょうね。
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