富野VS庵野
- 2007 04/23 (Mon)
ようやくテキスト起こしができたので載せてみる。
打ちながら「そうだよな」「そうか?」などと、
いろいろと考えてしまった。
富野由悠季VS庵野秀明
醜いものから眼をそむける日本の子どもたち
7時台を意識していた『Vガンダム』
庵野 時期が遅いですよね。放映中にこの手の企画はやるべきでしょう。
富野 だけど『Vガンダム』に関してはしょうがないとも思っています。本当にごった煮になってしまって、よくわからないシリーズになっちゃったから。手紙も少ないし、視聴率も上がらないし……。
庵野 あの時間帯は小さい子しか、テレビを見ていませんからね。
富野 でも本当にぼくに力があれば、どんな時間でも見てもらえるハズでね。心掛けとしては、いつもそのつもりでやってるんだけど(笑)。
庵野 でもやはり、小さい子どもにはつらかったと思いますよ。
富野 それは最初はゴールデンタイムといわれて、その予定で制作に入っちゃったから。もちろん時間帯の変更が決まった時点で軌道修正はしましたが、やはり直し切れなかった。ただ軌道修正自体は決して悪いことではなくて、それがあったからこそ、最初の頃のわかりにくさから、少しは抜け出せたんだと思います。
本当はもっといい形にして見せたかったんだけどできなかった。それはプロとして、とても悔しいことだ。―ということがありましたので、今の『Gガンダム』に関しても、確かに『ガンダム』という名前にこだわるなら問題はあるんだけど、今後もサンライズが、夕方5時で番組を作っていくなら、名前にとらわれないで時間帯を考えた路線設定をしていくべきだ、と思いましたので、むしろ積極的に押しました。だから、『Gガンダム』は他人の作品なんだけど、まったくわきの作品でもない。どういう風に見えてくるか、フォローしていきたいと思ってます。
庵野 『Gガンダム』は期待しているんです。子どもには受けるんじゃないかと思って―。だけど『Vガンダム』のようなドロドロした作品は、今の子どもは受け付けないんじゃないかな。20歳くらいでもクリーンなものばかり好んで、汚い部分が見えるものは、嫌悪されるようになってきていると思います。
富野 ぼくもそう思います。まさにそういうトレンドの時だと承知しているからこそ、ゴールデンタイムでやらせてもらえるとなったときに、視聴者層の幅を想定して『Vガンダム』の初期設定を押し切った。だから後でどれだけリメイクしようと思っても、根が深すぎて、それを抜ききることができなかったんです。
それは『Vガンダム』にとって不幸なことだったけれども、ぼく自身にとっては、そのリメイク作業を通して5時台のルックスを身に着けようとしたことは、ムダではなかったと思います。その上で、もし次の機会があったときには、『Gガンダム』の成果も踏まえて、トレンドとしての今のマーケットにどう対応して、作品を作っていくか。勉強させてもらいたいと思っています。
ただそれは、今の視聴者がクリーンなものが好きだからといって、それに合わせて商品を作っていけばいいのかといったら違うと思う。だってそのマーケットに合わせた作品は、既にいっぱい出ているわけだから。そこにスタンスを置いてしまえば、ぼくが作ることの意味はなくなってしまう。表現とかのハウツーは学ばせてもらうにしろ、コンセプトに関しては、そうそうすり寄れないようにと。
それに今のマーケットの性癖は、さらに極端な方向へ突き進むだろうとは思うけど、それを病的な現象として反省する時代も近々くると思うので、その時にアニメの世界にもこういう作品があった、という部分はあってもいいんじゃないかな。
庵野 ぼくも強くそう思いますね。
富野 実は今の日本で一番問題なのは、企業の偉い人とか経済人、大人たちが、商売のために若者にすり寄り過ぎてることだと思うんですよ。若者に対してアンチテーゼを示すべき大人がいなくなってしまっていることが問題なので、実はそれは若い人の問題とは思っていないんです。
別にぼくは学者ではないから、どうしてかという説明はできないけれど、ぼくが具体例としてあげあれるのは、ビートルズのことなんです。
なぜビートルズはイギリスから生まれたのか、というのはとても大事な点でね。だってイギリスなんて、それこそ大人の伝統だけでガチっと作られた国で、その中でもリバプールなんて、涙が出るくらい悲しい田舎町なんだよね。そんな陰々滅々としたところで、エレキギターは弾いてきたんだけど、パッとしない連中がいて、このまま田舎町にいてもどうしようもないんだけど、何をどうしたらいいのかわからなくて……。結局、反発しつつも、具体的な活動をはじめていくキッカケはドイツでなければつかめなかったというのがね。この問題を考えるのに大事なことだと思う。あのイギリスという重しがあったからこそ、ビートルズが生まれたのであって、アメリカでは決して、彼らのような人たちは出なかったでしょうね。
ところが今の東京はどうかというとね、ちょうどぼくくらいの年齢のおじさんたちが、高校生を集めてきて、商品企画会議をやって、彼らの好みに合うように、一生懸命、商品を作っている。仕事のため、会社をつぶさないため、というまさにそれだけを金科玉条にして、大人の正義を何も見せないという部分が、いちばん今の日本を狂わせていると思う。
それが本当に正しいか正しくないかはわからないけど、齢をとってきたことの価値というのは、そういうところにあると思うわけ。若いやつらから“古い”だの“おじさん”だのいわれたときに、“だけれどもオレたちは、これで生きてきたんだ。それがなぜ悪い!”となぜいえない。自分たちが生きてきた価値論を、若い人にぶつける方が正しいのではないか。おじさんたちが、若いやつの好みにあわせた商品を作って“わぁ、おじさんすてき!”と若い子から好かれて、おじさん気持ちいい、それで会社も繁盛するという社会は、やはり構造的におかしい。
庵野 やはりマーケティングと大量消費が原因ですかね。あと、テレビ。
富野 データ論の持っている正義が、本当の正義なのか、といったら、それはまさに効率論の正義でしかなくて、人を育てるための正義ではないということだ。
社会差別が厳然として残っているイギリスという国で、その重圧の中から反発して出てきたビートルズの、そのポリシーとか価値観というのは、絶対に老人たちが参加して作ったものではない。そういう社会構造がいいのか悪いのか、というのは別にして、老人と若者の関係というのはまさにそうあるべきだ、ということはまちがいなくいえる。
だから、ぼくの場合、さっき言ったように表現論の問題で、ぼくの下手な部分というのは、作家として反省しなくちゃいけないし、もっと洗練させたいと思う。だけどポリシーに関しては、オレは今さら変えようとは思わない。絶対間違ってないと思うもの。そうでないなら隠居するだけだものね。
だけど、今の日本の大人たちが作った社会構造というのは、若い人たちに対してアンチテーゼを設定する大人というのが、もろにいなくなってしまった。ところがこの不気味さを、経済人、企業人という人々は感じていないんじゃないかな。すべて経済効率だけできている。
アニメーションに近い例でいえば、乗用車のデザインがそうです。マーケットリサーチをして、いちばん売れるものをとやってきたら、この10年くらいは各社とも同じようなものになってしまって、2年前の大きなモデルチェンジでは、それがもっとひどい形で出てきて、みんな“オレの趣味じゃないよね”って感じてるのにみごとにそればかりになってしまった。これだけのメーカーが日本にはあるんだから、ほんとうはとんでもなく違うものがでてきてもいいのに、各々のデータベースが全部、今の若者の指向であって、同じ基盤。それをおじさんたちが一生懸命調べてきて、そのマーケットに合わせて作るから、みんな同じものになってしまう。
これだけの数の車が、街を走っているのに、車を見る楽しみがなくなってしまったというのは、すさまじいことだと思いませんか?
庵野 確かにどの車を見ても今は区別がつきませんからね。
富野 楽しくないんですよね。何で今の若い人たちが、車を好きでいられるのか、ぼくにはわからない。
アニメもまたトレンドの渦中にはまる
富野 『Vガンダム』の作品的な問題というのは確かにあって、それは制作者としてちゃんと了解しなければならない。だけどソフトの世界というのは、自分のオピニオンをかなり露骨に出していける部分もあるんだよね。それでなぜ悪いとは言わないし、言えない。結局、上手に表現できなかったわけだからね。でもぼくが『Vガンダム』でやろうとしたことで、20代、30代の人間ではできないことが絶対にあるはずだ、ということはいえるとおもう。
だけど“なぜ悪い!”という部分も含めて、気に入らなければ、お前ら徹底的にこれを否定してくれて構わないんだ。いや、むしろ全否定してほしいのよ。庵野さんなり、あるいは他の若い人でも、全否定するだけのパワーを持ったときに初めて、本当に新しいものがでてくる。なぜ今のアニメがこうもボルテージが上がらないのかといえば、やはりお父さんたちのマーケティング論、今のトレンドに合わせて作ろうとする部分で、その渦中にはまっちゃってるから。
庵野 そうなんですよね
富野 バリエーションということも“ユーザーの要求に応えて”とか“お客様のご希望に沿うように”とか、、ということでよくいわれるんだけど、実は今いわれているバリエーションというのは、ものすごい幅の狭いところで、差別化しているだけで、本当のバリエーションとは違うと思える。
AM 5月号で、庵野さんにお話をうかがったときにも、多様化しかないんじゃないかとおっしゃってましたが
庵野 逆にいうと今のアニメ界は特殊化が進みすぎていて、もうダメになるんじゃないか、と思うんですけどね。
富野 これはアニメに限らないんですけど、一時期、特殊化、多様化をやったの。個性が大事ってね。それから日本語になってしまった“アイデンティティーを大切にする”ということがある。でもそれも結局は、やはりごく狭い幅のものでしかない。もう少しみんな、外へ出て行って、違う人間が寄り集まっているところを知ってほしいな。話がわきへ行きすぎるねぇ……『Vガンダム』の話をするように努力します(笑)。
庵野 これはぼく個人の感想なんですけど、結局『Vガンダム』って、土と女の話だな、と思ったんですよ。
富野 そうですよ。実はぼく自身もフィルムの試写を観るたびに、“あっ、そういうことか!”と思うことが何度もあって、特に“女”の部分に関しては、今回ようやく、おれ“女”を描けるかも知れない、と思えるようになった実感がある。
庵野 今回、ようやくですか!?
富野 ようやくです(笑)。それほど自信なかったもの。
そういう意味では、おれも捨てたもんじゃないな、という―それはアニメのレベルでいえば描けているといえるかも知れないけど、やはりそんなもんじゃないからね。本当に女の性を描けるかな、というところまできたというのは、ものすごくうれしかった。
庵野 自信がないというのは、それだけ女にこだわっているということですね。
富野 全くそういうことです。それで実際にやってみて、あれっと思った。かなりずけずけと(フィルムの中に)女の気分が見えてきているんだよね。これはちょっと自信を持って、もう少し女を描いていいんじゃないのか。初号を観て、そう思ったことが2,3度あるの。
庵野 今回が初めてですよね。地球から出て、地球に帰ってくる『ガンダム』は。
富野 深く意識したわけではないんですけれども、最終的にカテジナの落としまえをどうつけていくか、ということを考えていったときに、ああしました。ただあれで良かったのか、というと決して全面的にいいとは思ってないし、ロボット物ということを考えた場合、あそこまでうっ屈してほしくなかったよね、というのはちょっとあります。だけど一度やってみたかったんだよね(笑)。
庵野 女に比べて『Vガンダム』ではいい男が出てきませんでしたね(笑)
富野 だから今回は女を描くことにすごく集中しちゃって、男に対する興味をほとんど持っていなかった。
庵野 なかったですね。初めてじゃないですか、全編を通して何かひとつのことに、こだわり続けたのは。
富野 今、こうやって話していてわかったことなんだけど、13歳のウッソを描くために、男を描くことへの興味を全部ウッソに吸いとられちゃったんだね。他の男にふり向けられなかった。あの年齢の男の子を本気で描こうというのは、ぼくの年齢ではものすごく大変だった。そうしたら他の男に全然手が回らない。
庵野 かろうじて老人くらいですね。若いのは全然だめでしたね。
富野 あの老人たちはぼくの同世代でしょう。自分の気分をそのまま移せばいいだけのことだったから、実は何も考えないでできた。いわゆる壮年を描くことができなかった。
庵野 クロノクルは今の若者をそのまま反映しているんですか?
富野 そうじゃない、本当にちゃんとしたロボット物の敵役にしたかったの。だけど、それこそワタリー・ギラのあたりでクロノクルがすっぽりぬけてしまった。ワタリーみたいなキャラクターで振りぬけちゃいけない。あれを全部クロノクルに持ってこなくちゃいけなかった。それにまだあの頃、ウッソのことがよくわかっていなかった部分があったために、ウッソに集中したまま、12,13話までいってしまったので、クロノクルが完全に抜け落ちてしまった。
庵野 ピピニーデンも余計でしたね。本来、クロノクルに集中すべきキャラクターが分散しすぎて、結局、若い男はどれも立ちませんでしたね。
クロノクルには期待していたので残念です。でもクロノクルがああいう男だったから、カテジナさんもああなってしまったのかな、とも思いますけども。
富野 それに関してはちょっと違うんです。カテジナのあのラストシーンというのは、かなり早い段階で好走があったんです。スタッフにもまだ1話のオンエアが始まる前に、キャンセルするかもしれないけども、といいながら話している。ところが、みんなかなりそのラストを気に入ってしまったのね。ちょっと映画っぽすぎて、いやかなとも思ったんだけれども……。それがずーっとスタッフの間に残っていて、クロノクルはあれでいいという風になってしまった部分が、どうもあるみたい。
庵野 カテジナの、あのラストシーンのために犠牲になってしまったわけですね。
富野 それで2クールに入ってすぐ、もう最終回をどうするか、決めなくちゃいけないという時に、ぼくが「もうカテジナは盲目にするしかないね」といったらみんなもそれだけで。「そうですね、落としどころは他にありませんね」って答えて、そのままポンといってしまった。
庵野 カテジナさんの目が見えなくなってしまった理由というのが、ぼくには今ひとつわからないのですが……。
富野 それはカテジナとクロノクルの関係が、あまり上手に描けていないのでわからなかった、ということだと思います。その辺、もうちょっと描けていれば、それはあり得ることなんだ、ということはいえるんですけど、結局その部分を触っていないので何をいってもしょうがない。
ただ、こういうことはあります。カテジナは何としても殺したくはなかった。では殺さない代償としてどうするか、といったときに、このくらいのペナルティは負ってもらわなければ困るという、作劇上の整理はあった。
AM そのペナルティというのは?
富野 あのカサレリアのウッソを勝たせるためのペナルティとして、うそでも敵になってしまったということで、カテジナだって、自分の中で疑問に思っている部分があるわけだから。それがわかるから、原作者としても、そう簡単に“おまえ死んでくれ”といえないシチュエーションにしちゃったんだから、殺しはしない。けれども敵になったんだから、申しわけないけどひとつペナルティ。だけど、それで劇としては飾らせてもらうから、かんべんしてくれと、そういうことです。
庵野 いやあ、いいのかなあ。
富野 「いやあ」というんだったら教えて下さいよ。
庵野 盲目にする必要はあまり感じなかったんです。逆にそちらの方が目立ってしまって。むしろ生き残った以上は手がないとか、足がないとか……。
富野 それらのことについては、すべてテレビコードに引っかかるから却下したんです。だからカテジナも見えないかも知れない、という以上の表現はいっさいしていない。
もう少し言えば、ウッソたちの側にもペナルティはあるわけだから、ウッソだって手がなくなっているとか、話としては当然そうだったけども、どうせやるんだったら、きちんとした絵を作りたい。でもそれは許されないだろう。他にもいくつかあったんだけど、どれをやっても今の視聴者には生理的に受け入れられないだろう。
庵野 引っかかるでしょうね
富野 だけど、本来は引っかからせたいんだよね。それがあれば、カテジナがああいう形で出てきても、お互いがそうなら、庵野さんが感じている“カテジナだけああなの?”という違和感は……。
庵野 作為を感じるんですよ。
富野 ……スッと受け入れられただおうね。だけどそれは、きっとどれをやってもヤバイぞ、というのと、上手にできないだろうというためらいがあって、カテジナだけで収めさせたんです。
庵野 小説ではカテジナが火傷を負いますよね。あれが好きなんです。
富野 本当はそうしたいんだけれども、でもテレビでは絶対にタブーだから。それにクリーンなことが好きな観客に対して、そういう表現がどこもあで許されるのかといったときに、ちょっとね……。
AM マスコミにおける表現のタブーとして問題になる以前に、視聴者側が生理的に、それを受け入れるかどうかということですね。
富野 全くそういうことですね。そういう意味では、確かに折衷案でありすぎたということは事実です。
庵野 やはりそうでしたか。
子どもを代償行為に逃避させないために
富野 昨日たまたま、TVで『ロードス島戦記』ですか?やっているのを観ていたんですよ。技術的にいえば、やっぱり“りんたろうさん、上手だなぁ”と思うよ。演出以降の処理も、“これでいんだよなあ”と思う。だけど実際に、制作者としてあれに足を踏み入れたら、その瞬間に全面否定しちゃうんだよね。
あれはどうなんですか、評価としては。
AM 絵はきれいだし、商品としては大ヒットしましたね。
庵野 あの作品が売れるというのはよくわかります。でも面白くないな、とぼくは思ってしまうんです。
AM 受けてもある種、予定調和的なものの方を、安心して受け入れていくところがありますよね。
富野 それは本当に気持ちの悪い部分とか、いちばん自分がみたくないものを、なにもビデオとか、アニメのレベルで突きつけられたくないからね。
庵野 代償行為ですから、金を払ってまで気持ち悪いものを見せて欲しくはないでしょうね。
『Vガンダム』でもやはり、ウッソのお母さんが死んだ時に“もう見るのやめる”とか、いった子がいましたからね。“こんなアニメは見たくない”とか。人の死に予想外に反応しているんですよ。
富野 そういう子はいるでしょうね。
AM でも今、バブルが終わって、不況になって、社会がだんだんシビアな方向に変わってきたら、また違ってくると思うんですけどね。
庵野 いや、そうなったらますます閉じこもるだけだと思いますね。
富野 今の子どもたちには、まさにそういう時の活力がないですからね。本当の意味の自閉症の人というのは、そうなったら生きていけないんでしょうね。でも一寸先が闇でも、死ぬまでがんばってみたいというのがぼくの立場だから。何で生きるのかわからなくても、生きることはそう悪いことじゃないですよ、ということだけは伝えていきたいなと思います。
庵野 人は生きようと思わないと、生きていけないと思うんです。口を酸っぱくして言わないと、人間って生きていかないですから。何で宗教が、人は苦しいことがあっても生きなければならない、なんて当たり前のことをいうのか。それは言われて自分がそう自覚しないと、多分生きていけないからだと思うんです。
富野 全くそうですそのぐらい世の中というのは、うまくいかないものなの。だからね、もう少し覚悟を持ってやろうよって、単純にそれだけでね、ぼくらの伝えたいことというのは。
でも今の子たち、特に中高生にとっては学校生活そのものが、うまくいかないものなのかも知れない。だからアニメを見るときくらい、そういう話も含めて、見せられたくないんだろうね。
でも、もうひとつ重要なのは、その程度のことを過酷に感じちゃう子どもがいる、ということなんだと思う。
庵野 そうなんですね。
富野 最近、お米がなかったりするでしょ。とてもいいことだなあと思ってるのね。食うものが本当になかったら、どうなるか、ということをちょっと真剣に想像させてくれることができたからね。
そういったときに、ソフトを作っている人間の強いところは、そのようなシビアな部分も、申しわけないけど、皆さん方がお楽しみにしている、アニメの中でもやっておくよ、といえることですね。10年後、20年後に効くように(笑)。
庵野 やはり作品には毒を混ぜておかないと(笑)。特に子どもには毒を見せるべきだと思いますね。
富野 絶対そうです。
AM わかりました。本日はどうもありがとうございました。
前半の「若者にすりよるおじさん」の話については、
もしかしたらこの時期の考え方と、今の富野の考え方は変化しているように感じられた。
以前に「爆笑問題のススメ」でも語っていたが、「オレがオレが」ではチームワークができない。
「一緒に仕事をさせてもらう」という意識は、
ブレン以降のチームワークを重視する白富野にしかできないものであろう。
![]() | 爆笑問題のススメ Vol.4 全国アンケート!視聴者500万人!?が選んだ“もう一度見たいゲストランキング”BEST 3! 爆笑問題 眞鍋かをり バップ 2005-12-21 by G-Tools |
「日経エンタ」の対談や先日紹介した∀ガンダム鼎談でも、「現在性」というものを非常に重視している。
それは若者に擦り寄るのではないが、
「本当に自分の培ってきた価値論が正しいと言い切れるのか」
「今若者に人気があるというのは、それなりの意味があるのではないか」
と考えるように変化しているようにオイラには感じられる。
また、車のモデルチェンジの話については、
以前に「なぜだかわかりました」といった話を見かけたのだが、ソースを確認できず。
なんだったかなぁ・・・。
それと庵野の「手がない、足がない」というコメント。
これはこの後、エヴァでトウジの描写につながるのではないかと勘ぐってしまった。」
でも一番あれ?と思ったのは、「毒を混ぜる」という庵野の発言に、
富野が同意しているところ。
今では考えられないが、すでに精神的に追い詰められ始めている当時なら、
十分考えうることだよなぁ・・・。
そんな富野が「アニメは芸能」として「楽しさ」を第一に追求するアニメを作るなんて、
当時は想像だにつかなかっただろうなぁ。
たしかに代償行為に逃げ込むのは問題だけど、
だからといってこういう毒要素の強いアニメばかり作ればいいもんじゃない。
エヴァ以降一時期こういうアニメが流行った時期があって、
オイラも「リヴァイアス」とか見てたけど、やっぱりどうかと思うよ。
アニメなんてお楽しみなんだから、眉根ひそめてみるもんじゃないよ。
それ以外にもVガン制作当時の富野の考えを知ることができたのはよかった。
「それがVガンダムだ」でもいろいろ当時の状況について富野は語ってたけど、
やはり時間の経過は記憶をゆがめることもあるからね。
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- Genre:アニメ・コミック
- Thread:機動戦士 ガンダムシリーズ
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Comment
Vガン制作当時の富野の考えやマーケティングの方針などがわかる
貴重な対談記事ですが、個人的に違和感があるのが二点ありますね。
一つは序盤のGガンダムのことで、話の流れではGガンダムが
”子供に受ける作品”、”醜いものから眼を背けた作品”として
捉えられているのですが、ヒーローロボットをやりつつも醜いこと、
非情なことをガンダムファイトを通じて描いていた作品だと感じていた
(初視聴の際でも、曖昧ながらもその点に引っ掛かりを感じていた)
のでGガンダムがクリーンな作品だと感じられるのには違和感があります。
もう一つはカテジナへの”ペナルティ”のことで、光を失い、
ウッソと再会する機会を奪われ、嫌っていた故郷へ一人寂しく帰る
という結末に死より惨酷な仕打ち、死ぬことすら許されない罰と
捉えていたので、富野にとっては”ペナルティ”に過ぎない
ものだったというのは意外に感じられました。
自分としては小説版のビームサーベルの直撃での即死のほうが
まだましだったのではと思っていたので。
Gガンについては私は見ていないので良くわからないのでここでは置いておきますが、ペナルティについて。
やはり富野にとっては「生きてさえいればどんな状況であろうとも何とかなる」という考えがあるんじゃないでしょうか?
だからこそ端から見れば「死より残酷」と思えても、死んでしまったキャラクターには出来ないことだって出来るかもしれない。
それは生きていればこそのもの。
そう私には思えました。
何だか富野氏の言うことは何もかも
矛盾だらけに思えてならない。
やってることと言ってることが全然違うよ、
社会が病的だとか言う前に自分がまずビョーキだろ、とか
むしろそれが正しい見方です。
富野の発言は、清濁併せ呑んだ上で、
「うわぁ、この爺さんまた飛ばしてるよ」とニヤニヤしながら、
参考になる部分はきちんと受け止めて人生の参考にして、
ネタになる部分はネタとして楽しむのが富野信者です。
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