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先日落札したスタジオボイスの2000年2月号が本日到着。
この号は「僕らの知慧の果てるまで」と題した環境問題に関する特集を組んでおり、
その中で富野が一文を寄稿している。
その1ページを目当てに落札したというしだい。

で、その寄稿文なのだが・・・相変わらずトバシテおります。

“苦痛の時代”を甘受できるのか?
現在という時空の中での行動リスト


 環境問題の解決方法は、自分の身に降りかかる問題だから、解答することを引き伸ばしているという性格を持つので、厄介ではある。
 なにしろ、現代人は、実証主義に則らなければならないという理屈を働かせ、さらに、過去に膨大な冤罪事件のトラウマがあるために、原因と結果を結び付けて考えることをやめているために、解決を遅らせる知恵を働かせる。その上、資本主義経済が生活を保障しているという信心があるから、個々の問題を論じはしても、根本解決はつけようとはしないのだ。(すでにこの書き方が、自己責任を回避しようとしている!)
 物を減らせばいい、エネルギーは使わない。と、原因を遮断すればいいだけの事なのだ。それに、人減らしである。にもかかわらず、シートベルトをしろという法律をつくるのが我々なのであるから、どうしようもない。
 現実的に言えば、生産活動は禁止できないから、商品には、ゴミを捨てるような輩には買えないような莫大な税金をかけて、その資金はすべて環境問題解決に使う。
 とはいえ、日常生活必需品は安く提供したいのだが、家庭廃棄物がもっとも厄介な問題なので、家庭では、有機物質製品以外は使わせない。化石製品、化学製品は一切ダメとする。一回しか使わない道具は、道具ではないのだから、商品のパッケージはすべて禁止、容器を持ってきた客に量り売りにする。自動販売機は全廃。ファーストフード店には、コップと皿、フォーク類を持参していく。トイレットペーパーは、そのような性格をもった新聞紙を利用する。(新聞がインターネットで代用されたら葉っぱだけにする)大量広告も禁止(ママ)、新聞は4ページまでにして、教科書は学校に備えつけのものにして、内容の更新は別紙号外とする。毎日の入浴もやめる。コンビニは成立しなくなるかもしれない。
 耐久消費財は、素材がヘタルまで使い、家電製品や自動車もこれと同列に扱って、この考えに則ることができないメーカーや消費者には圧倒的な重税をかける。それでも、包装に使える竹の子の皮やトイレの葉っぱをどうするかという別の資源の問題は出てくる。
 最低限度の食品加工は認めても、缶詰が発明された時代レベルの品目以外の加工は認めないという精神を貫く。一年中赤いイチゴがのっているケーキを売るのがまちがいなのだ。そうすれば旬のものしか食べなかった弥生縄文時代の人々の口がいかに奢っていたか分かり、彼等はそのようにして来年の生産性を確保していたのである。
 それでも、新技術の物を使ったほうがエネルギーの削減になり、社会的なインフラを整備するほうが、消費削減になるという論には耳を貸す必要があるし、資源のリサイクルを視野に入れたゴミの処理方法、熱分解ガス化溶解システムのような開発も必要であるので、過激な手法が社会のコンセンサスを得るまでは、『知的供給開発局』のようなものをおいて、立法司法行(ママ)が柔軟に機能するようにする。
 つまり、現在の商圏で当たり前の言葉になっているコンシューマー向け、という発想は消費奨励でゴミの生産でしかないのだから、あらゆる業態から大量出庫が正義という発想を排除するのだ。(こう書くと自分の首を絞めることになる)
 こういう考えは、流通、備蓄の本質を考えていないという論に対しては、その発想が間違っているのだと指摘しておきたい。
 だから、環境問題を考えていく上のもうひとつの柱は消費者の否定、つまり、人口調整なのだが、これは、すでに日本は老齢化という現象によって、人口減を現実のものにしようというところにきているので、これを明治初期の国内総人口二千万ぐらいまでに下げることを国是とする。それでも、日露戦争ぐらいはできる国力を維持できるのは、現在のオランダという国が一千五百万の人口である事を考えれば、悲劇的する(ママ)必要はない。(が、そのオランダは自給自足しているのではなく、海外に消費者がいるから国内経済があるということを忘れてはならない)
 自然という脅威が認識されていた時代には、地球の危機説を夢想することはなかったのに、バーチャルな現代資本主義経済が地球を席巻したときに、地球限界説がバーチャルではないと認識されたのである。これは皮肉な事である。これには特化した技術進歩があっての認識であるから、技術革新は否定するものではないのだが、現在という時空でいえば、エゴの享楽のためと利便性以外視野にないのが技術であるので、この部分は捨てるしかない。
 しかし、デンマークで実行した原発の廃棄は、24時間営業も外灯の点灯も不可能にするということであり、受け入れる必要はあるのではないだろうか?
 企業や消費生活のほうが地球の存在より重いということはないのだし、ウィルスのような存在の人間などは、あるていどの自己規制の中で生きていく謙虚さは必要であろう。
 石油がなくなって大騒ぎするよりはマシである事は、まちがいない。




なんというのだろう。
結局は、環境問題=人減らしでOKという富野らしい結論には唖然を通り越して(・∀・)ニヤニヤ。
大量消費を是とするグローバル化した資本主義経済に対するカウンターも、
あまりにも極端な「ものもたなきゃいいじゃん」という、
経済の原理原則を知らない中二病患者か極度の左巻き連中のような物言い。

まぁ、我々富野信者は「また始まったよこの禿爺ぃ」と思いながら、
ニヤニヤ生温く見守ることができるが、初めてこれを見た人はどんな人かと驚くだろうなぁ・・・。
「ガンダムの監督」なんてどこにも書いていないし。
雑誌CUT11月号に掲載された富野インタビューから印象に残った言葉。

―次はシャア・アズナブルについて聞きたいんですが。なぜこのようなキャラクターが生まれたんですか?

「全部、その時の都合が悪かったからです。それで僕に指揮権がなかったから、ああいうふうにできちゃったんです。あともうひとつ別のいやーな言い方があって、安彦君がバカだったから」

「マスクした人物に日常会話させるわけにはいかないから『それ、やだよね』って思ったんだけど、こちらがシリアスに映画を作りたいと思っているのを安彦君は全くわかってなかった。そのことに関心を持っていなかったようですね。所詮、安彦君ってアニメーターでしかないし、漫画家でしかないって思いましたもん。映画を目指すって言う気分をおよそ持ってない人だってこともわかった」

「僕のほうのバカさもあるわけで、実際に(マスクに意味をもたせて)やってみたら、テレビは打ち切りで終わっちゃったし、映画は3本やって終わっちゃっても、僕はわかんないことがあったのね。『実際にアニメとしては、シャアはあれでよかったんじゃないの?』って話に関しては、確かによかったという結果がわからなかったのよね。映画っていう娯楽作品、媒体っていうのは、あのくらいキャラクターが記号化されていないとダメなのよねっていうのを、僕は映画が終わってもわからなかった」

「つまり映画とかアニメって、あのくらい記号化してちょうどいいエンタメになっているんだろうということでしょ?」


「(富野・安彦の共作という)要素はあるけど出発は今言った通り、両方ともバカだった」



シャアのキャラクター造形に関して、
ここまで安彦批判(最後はほめてるけど)しているのは見たことないかも。
作劇はともかくキャラクターの記号化に関する話もあまり聞かないような。


「僕には高校の頃から作劇術についてクエスチョンマークがついている部分があって、そんなに一字一句変えちゃ困るほどの劇とか小説とか戯曲を書いた奴がいるか?って」



そうやってコンテの段階で脚本を訂正して大目玉食らってヤマトを首になったのが富野。
富野の中ではコンテ>脚本だから、
星山さんあたりからは、
「富野さんはその回の展開だけを考えてコンテを切るが、我々はストーリー全体の流れを考えて書いている」
「後の話の布石になる大事な部分を勝手にカットされた」
など不満を抱かれていたらしい。

「(カミーユを富野自身の現実の周囲に対する攻撃を象徴するキャラクターにしたのは)ものすごく自覚的にやったことですから、今こういうふうに簡潔に言えるんです。だからそれをやってしまった富野っていう原作者であり監督でありスタッフの問題に関していうと『やっぱり奴はエンタメを作る監督としてはダメよね』って言い方ができます。そこでそれをさせなかったら、富野っていうのは違った化け方をしたかもしれないんだけど、それを放置したプロデューサー集団は、かなりひどいなって思いますね。だって上手くいった具体例を鈴木敏夫と宮崎駿は、やってるんだもん。あのおふたりはコンビになったからオスカーとるところまでいけたというスタジオワークはすごいですよ」

「今でも(スピルバーグ)になりたいと思ってます。でも問題があるんです。65からはじめても間に合わない(笑)」

「これからの10年、20年を考えた時にもうスピルバーグを追っかけていたらダメで、グーグルを立ち上げたサーゲイ・ブリンとラリー・ペイジを目標にしています。そういうふうにしか興味をもてなくなってきているのが富野さんの一番の大問題で(笑)。そういう思考回路だったら宮崎駿さんに勝てるわけないじゃないですか。」



なんというか・・・リップサービスのつもりなのか、
思わず口が滑ってしまったのかいろいろぶっちゃけすぎ。
それにしても10年後20年後のことを考える65歳って凄いな。
オイラなんか明日のことも考えてないのに・・・orz
2007.10.29
先日、本を大量購入したばかりだが、
それに懲りずに今度はオクで何冊か落としてしまった。
本当に自分でもどうしたらいいのかわからないほどの物欲リミッターオフ。

その結果1冊だけだった積ん読ストックもドカンと増えたのだが、
あまりにも多すぎてどれから手をつけようか迷ってしまう。
今現在読んでいた「Temple」はもちろん、
「日本文明とは何か」「神社の由来がわかる小事典」「歴史読本」
このあたりをパラパラと手をつけ始めている。
が、やはり落ち着かないというか腰を据えて読む体勢に入っていない。
同じ箇所を何度もループして読み返したりしてしまう。

なんだかいま落ち着いて筋をたどりながら読むのには
もう少し時間が必要かも。
今はまだ興奮状態というかなんというか。

つーか本日我が家へ向けてさらに4点の商品が発送された件について
先日買った京極夏彦の文庫本にはさまっていたチラシ。

魍魎の匣映画化
豪華オールスターキャスト夢の共演!



工エエェェ(´゚д゚`)ェェエエ工

姑穫鳥の夏があれほどダメダメの最悪駄作だったのに、
まだ続きを作るつもりなんですか?
正直原作ファンをバカにしてません?
しかも唯一の見所が関口役永瀬正敏の、
原作イメージそっくりの鬱病文学猿っぷりだったのに、
よりによって椎名桔平に変わってやんの。
写真があるんだけど全く雰囲気がない。
つーかかっこよすぎ。
関口はこんなかっこよくないよ。

こんなものでもだまされて見に行く人、
こんなもの見て京極作品を知ったふうな気になる人もいるんだろうなぁ・・・。

関連記事
最近見た映画@DVD
先日買ってきた噂の激辛チップス「デスレイン」。
しばらく喉の調子が悪くて刺激物を控えていたこともあり、
食べずに放置していたのだが、喉の痛みもなくなったことなので食してみた。



まず袋を開けてみるとこんな感じ。

200710272111000.jpg

あ~そんなに真っ赤と言うわけではないのね。
1枚取り出してみる。

200710272111001.jpg

ずいぶんと1枚が厚め。
口に入れてみるとザクッザクッと歯ごたえがある。
堅揚げポテトのような食感。
だが、辛さ自体はさほどでもない。
えてしてこういう類は辛さばかりが突き抜けていて味にかけるものだが、
バーベキューソースのような味がちゃんとついている。

なんだ。楽勝じゃないか。
そう思いながら食べていたものの、異変は1/2を過ぎるあたりから訪れる。
あれ?なんか額から汗が染み出してくるよ・・・。
ベロもなんだかヒリヒリして麻痺したような感じだよ・・・。

どうやら口に入れた瞬間のとんがった辛さはないものの、
口の中でジワジワと後から効いてくる辛さのよう。
残り1/3ほどになって口全体がヒリヒリしてどうにもならなくなってしまった。
1枚食べては水分を取り一休み、そしてまた水分をとってもう1枚といった感じ。
いや、この辛さは「暴君ハバネロ」とかとは別パターンだわ。
うん。でもなんかはまりそう。

でもさ・・・これって微粒シリカゲルとか入っているんだよね・・・
体にいいのかなぁ?食べても・・・。

そういえば暴君にも「超暴君ハバネロ」と「大魔王ジョロキア」が出るんだっけ。
あっちも食べてみたいなぁ・・・。

関連記事
辛いってレベルじゃねーぞ
本日買った本。

日本文明とは何か―パクス・ヤポニカの可能性 (角川叢書)日本文明とは何か―パクス・ヤポニカの可能性 (角川叢書)
山折 哲雄


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なんという衝動買い。
しかもこれだけ買いながら、まだ自制して買わなかった本もある。
完全にどこか逝かれています。

しかもレジで頭の中で計算していた倍以上の金額になり、
思いもよらぬ事態に「本当に?そんなになる?」と問いただして、
最初から数えなおさせてやんの。
もちろん間違っているのはオノレの頭ですが何か?
なんて馬鹿スwwwwwww

あぁ、そういえば早朝にヤフオクで富野資料も落札しましたが何か?
完全にスイッチが入ってしまったようです。
始 ま っ た な w



あ~しまった。
「ロリータ」買うの忘れた。

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購入決定
富野が講演会で薦めた書籍一覧

続きを読む

amazonで検索をかけていたら、たまたまこんなものを発見した。

建物コレクション 神社建物コレクション 神社


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ちょ、マジでこれ欲しいんですが。
明神鳥居に神明造の本殿、狛犬、灯篭に手水舎、摂社まである。
いわゆるひとつのマイ神社ですよ。
すげーなオイ。
発売元がトミーテックということは鉄道模型の情景模型かなにかだろうか?
でもこれ単体で欲しい。
しかしお値段が・・・。

神社と言えばこちらも欲しい
イラスト図解 神社のしくみイラスト図解 神社のしくみ
三橋 健


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あぁ、勘違い。
以前に紹介した「トリトンのDVD-BOXには富野動画収録」という情報ですが、
カラーブックレットの勘違いでした。

B00005NS3Q海のトリトン DVD-BOX
羽根章悦 手塚治虫 富野喜幸
パイオニアLDC 2001-09-21

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つまり「動画」はありません。「鉄腕アトム」のDVD-BOXと同じで文字情報だけ。
まぁ、それはそれで欲しいのですが、やはり優先度はかなり低くなってしまいます。


目をつけている中古のDVD-BOXが10K切ったら買っちゃうかも・・・
なんて書いている人のことですから、
金銭感覚がトチ狂って「買っちゃった(∀`*ゞ)テヘッ」とか平気の平左で書いていそうで怖い・・

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新たなる富野動画
Sleepydragの戯言+αさんで、
富野インタビューが雑誌「CUT」に掲載されていると言う情報ハケーン。

Cut (カット) 2007年 11月号 [雑誌]Cut (カット) 2007年 11月号 [雑誌]


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そういえば「CUT」は劇場版Zの時にも富野特集していたけど、
内容が既出ばかりの凡庸で店頭スルーした記憶がある。
今回は大丈夫なんだろうか?ちょっと心配。

しかし「CUT」の発売元はロッキンオン。
シンコーミュージックから出版されていた「炎」といい、
こっち系の雑誌から意外と富野って好かれていたりするのよね。
あまり表立って書くべきでないかもしれませんが、
ニコニコ動画で「∀ガンダムコンサート」のDVD特典映像を見ました。

B00005F638∀ガンダム with 菅野よう子コンサートライヴ [DVD付期間限定]
菅野よう子 オリガ 東京フィルハーモニー交響楽団
キング 2000-02-04

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_| ̄|○ il||li

なんで会場で先行予約していたのにスルーしたんだあの時のオイラ。
なんで今までこんなすばらしい富野動画が収録されていることに、
気が付くことなくスルーしてきたんだオイラ。

kanno_tomino_concert01.jpgkanno_tomino_concert02.jpg
kanno_tomino_concert03.jpgkanno_tomino_concert04.jpg

何かどうしても手に入れたくて仕方がなくなってしまったけど、
今ではオクで6~8Kくらいはするので、いくら富野狂いとはいえおいそれと手は出せない。
時を巻き戻せるのであればあの時に戻って予約したい。
それから終演後のロビーで握手した富野に、今度は握手だけでなく禿頭を撫で回したい。
欲しい欲しい欲しい欲しい・・・。

でもあれを生で鑑賞できたことは今でも自慢できるしいい思い出。
生富野だけでなく、生あきまんとも握手してもらったし。
ラフスケッチ集みたいなものをお土産にもらえたし。
turna_concertaurvenia01.jpgturna_concertaurvenia02.jpgturna_concertaurvenia03.jpg
肝心の音はペットがかなり外していたけどな。
しかもリハーサル風景見たらこれでもいい方でやんの。
東フィルは他のコンサートでもペットがダメダメだったような気が。
先日紹介した「The Sneaker」2001年4月号の富野インタビューをテキスト起ししてみた。
文体の感じからして、コメントのような構成になっているが、
インタビューの語り口をそのまま文章にしたもののように感じられる。
途中まで「創作とは」などいい感じで語っていたのに、
結局「おねえちゃんをはべらせたいからがんばる」
という結論に結びつけてしまうところはさすが富野。

スニーカー文庫「オーラバトラー戦記」刊行記念
富野由悠季スペシャルインタビュー



 「オーラバトラー戦記」の直しの作業をやりながら改めて自覚したんだけど、僕はいざ書きはじめるまで、頭の中に何もないんです。ストーリーも、構成さえもない。それは、全50話のテレビ番組を作るという、言葉にすると簡単そうだけど、とんでもない物量の仕事をこなしてきた中で身につけた癖で、スケジュールが常にタイトな仕事って、考えながらなんてとてもやれないんですよね。書いた瞬間から考えるという作業を始め、その文章を行きつ戻りつしながら考えて、また書いていく。そうして物語を創るんです。
 書き上がった作品のことを、まったく覚えていないのは、だからです。今回、まるで他人の作品のように「ええっ!?ここでこいつが死んでしまって、この後一体、何を書いてあるんだ?!」としょっちゅう考えながら、書き直しています。
 10年以上の時が経ってくれて読み直していると、当時の自分のうぬぼれようが見えて気が滅入るのよ。ここ数年、自分の立ち居様とか仕事のしかたとか、仕事と人間の関係というものに、かなり気をつけていたということもあります。原稿を読む前には、そういう観点での手直しはするべきだろうけども、全体的な直しはしなくてすむと思っていたのね。ところが手をつけてみたらとんでもなかった。
 作品というのは作家の個性が顕かになっていいものだろうと思ってきたけど、それは違う、僕程度の人間が個性を出しちゃいけないんだってことがわかったんですよ。みなさんはこれを聞いて「えっ?」と思うだろうけど。
 つまり、今言われている「個性」って「作家の感じる・作れる範囲」のものでしかないんです。以前の僕は、すべてを自分の裁量でやろうとしすぎた。でも今は、むしろ僕のようなスタジオワークの人間は、そうではないやり方のほうが、より良いものが創れるんじゃないかと思うようになりました。成長したんですね。
 そういう意味で、ノベルズ版はあまりにも稚拙な部分が多すぎる。瞬間芸的な時代的な思いこみや、時代の感性による書き方だったかもしれないと、自分自身を客観視できるようになった。その上で手直しをしていくと、やはり自分の能力の範囲でしかやれないんですが、だけどこの狭さはうぬぼれていたときの狭さとはきっと違うだろう」と信じています。
 そういうことを思い知らされて、自己嫌悪に陥りながら仕事していると、勉強になると同時に、それを承知した上で書き直せるということが―「書き直し」というより、ほとんど「新作書き下ろし」という気分なんだけど―ベース・ストーリーを、かなりおもしろがっています。
 その上で言ってしまうと、少なくとも「オーラ」に関しては、一番始めの(ママ)思いつき、「発意」の部分では、あまり間違わなかったかもしれない、もしかしたら凄い作品かもしれないと思えます。
 僕が知っている例で言えば、ダニエル・キイスの「アルジャーノンに花束を」って何度も改訂しているでしょ。何度も手を入れながら、ずっと物語と格闘してるんだろうなと想像できる。キイスって決して文章は巧くなくて、ただ発意の部分がすごいからこそ、ああやって書き継いでいるのよね。逆にいうとそれができるくらいのパワーで愛せる作品でないのなら、作品は作っちゃいけないんじゃないかとすら思えます。
 だから僕も、格闘していかなければ……。
 バイストン・ウェルという世界を思いついたきっかけ―そんなものはありません。「聖戦士ダンバイン」はロボットものをやりすぎて、すっかり嫌になって何か違うことをやりたかったの。それで舞台をファンタジー世界にしようと思いついた、それだけ。でもどこかで現実と繋がっていてほしかったのね。
 そこでヒントになったのは井戸です。
 「バイストン・ウェル」は「近くの石の井戸」という意味なんです。釣瓶―と言っても若い人はわからないだろうな。井戸の中にたらした桶を上げて水を汲むイメージから、「物語を汲む」。
 「井戸の中に何かがいるかもしれない」という考えは、特別にオリジナリティのあるものではなくて「王さまの耳はロバの耳」という民話では、悪口を叫ぶのは本当は穴ではなく井戸なのよ。井戸というのは基本的に人にそういうイメージを喚起させるんだろうなと思います。
 そのとたん、バイストン・ウェルという異世界の階層論が全部できちゃった。井戸だから湧き出すものがいっぱいある。そういうサムシング・ワールドがあっていいだろうと。「ピーターパン」に出てくる島は「ネバーランド」っていう名前、「ない島」という意味なんです。
 つまり「ファンタジー」というものは、すべてが「人間の想念」としてあるものである。でも、現実にはわれわれの五感では感知できないものというのがファンタジーではないかと思った瞬間、恐獣が出てくるような地底世界があっていいんじゃないかって考えました。
 あとは好きにやっていいんだと思って好きにしちゃった。問題はそこで「好きにしすぎた」ということ。タガをはめなかったというのが、作劇上、いけなかったのです。
 1巻でショット・ウェポンに言わせているけど、ダンテの「神曲」や、仏教の世界観とかの階層的異世界をもっと勉強しておくべきだった、少なくとも頭の中おいておくべきだった、という反省があります。宗教的な恣意をもって、そういう世界を構築した人たちがいるということや、自分の中に規範を持ち得ようとしたことを承知するべきだったのです。
 「ファンタジーを創る」ということから少し離れるけれど、バイストン・ウェルという、現実世界でいうと中世のような世界での生活のさまや戦いざまを描く時たとえば現実の中世の人々の食べていたものや、封建時代の感性を知っていたいとも思います。
 こんな風に、「オーラバトラー」をやるうちに、勉強しておきたいことがどんどん出てきて、正直言って困っています。
 「オーラ」の主人公ジョクは、「ダンバイン」のショウ・ザマで描ききれなかった日本人的な感性を出そうとして立てたキャラクターです。
 彼に託している想いと言えば―。
 僕は基本的に働き者じゃないし、仕事の手も遅いんですよね。だから本当は、そんな僕が理想を言っちゃいけないらしいと気をつけました。
 だけど、ただひとつ言えるのは、人間って自分のできることしかできないじゃないですか。そのできることを半歩でもひとかかえでも増やしたいと思ってるんでしょうね、どこかで。
 もっと言っちゃうと、簡単なことで、お金持ちになりたいんですよ。それから有名になりたいんですよ。きっと。幸い僕は、こういうキャリアを持てたおかげで、多少はそれを味わえている。だからこそもっともっと思っている欲深さがあるんです。
 本当に才能がある人ならば、労せずにそういうものを手に入れられるかもしれないけど、ぼく程度の人間が手に入れようとするなら、もっと勉強して働かなくちゃ、だめなのよ。
 そんなふうに、ぼくの究極の目的はものすごく下世話なんですよね。仕事を極めようとかいう衝動がどこにもないの。本当にそれだけが目的なの。
 もっとわかりやすく言うとね。好きなおねえちゃんが、40代30代20代のそれぞれ2~3人くらいずつ側にいてほしいっていうのが僕のハーレム論なんだけどそれを達成するためにどうしたらいいんだろうかと考えたら、器量と能力というものを広げるしかないとわかったんです。
 そのときに、大事なことがあるんです。つまり、うかつな愛人関係や不倫関係ならばともかく、そういう女性が6人いたら大変なわけ。そうじゃんくて、好きになれる女性が、「ずっと側にいてくれてもいいや」って思えるような人間関係を成立させたい。そのための度量やルックスや能力というものが、見合う自分でなければ女一人ついてこないし、ましてや男なんかもっと寄りつかない。そういう人が寄りついてくるような自分を手に入れない限り、達成できないんです。
 お金だって、一時金を手に入れるんじゃなくて、死ぬまでお金持ちでいたい。これも度量とか仕事のありようと関係しています。有名になることでも、一瞬テレビに映るだけではなくて、「あいつはいいやつだよね」「いい仕事をしているよね」っていう評価がほしいんですよ。
 そう思ったはずなんだけど、これくらい明確に言葉にできるようになったのはごく最近のことなんですね。これを今の気持ちで30代に言えていたら、今ごろ本当にハーレムを作れていたんじゃないかな。それが作れなかったっていうのがつまんなくて、悔しいんです。
 この年になって、生かされている間にできることがあるだろうと思うんです。それをひとつでも広く、大きくやってみたい。そう思いながら、表現をする場所に立ち返って、漠然とした言い方だけどそういう息吹みたいなものを吐き出せてその息吹に触発されただれかが立ち上がってきてくれるかもしれないと期待してそういう作品を自分の人生の中でひとつでも手に入れたいと思っています。



なんかこうなったら「オーラバトラー戦記」を読まざるを得ないような気になってしまうのは、
富野信者の悲しい性ですか?

関連記事
新たなる富野資料
実は読み終えてないのですが・・・

オーラバトラー戦記〈1〉アの国の恋 (角川スニーカー文庫)
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オーラバトラー戦記〈2〉戦士・美井奈 (角川スニーカー文庫)
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オーラバトラー戦記〈3〉ガロウ・ラン・サイン (角川スニーカー文庫)
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オーラバトラー戦記〈4〉ギィ撃攘 (角川スニーカー文庫)
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オーラバトラー戦記〈5〉離反 (角川スニーカー文庫)
オーラバトラー戦記〈5〉離反 (角川スニーカー文庫)

オーラバトラー戦記〈6〉軟着陸 (角川スニーカー文庫)
オーラバトラー戦記〈6〉軟着陸 (角川スニーカー文庫)

オーラバトラー戦記〈7〉東京上空 (角川スニーカー文庫)
オーラバトラー戦記〈7〉東京上空 (角川スニーカー文庫)

オーラバトラー戦記〈8〉マシン増殖 (角川スニーカー文庫)
オーラバトラー戦記〈8〉マシン増殖 (角川スニーカー文庫)

オーラバトラー戦記〈9〉オーラ壊乱 (角川スニーカー文庫)
オーラバトラー戦記〈9〉オーラ壊乱 (角川スニーカー文庫)

オーラバトラー戦記〈10〉重層の刻 (角川スニーカー文庫)
オーラバトラー戦記〈10〉重層の刻 (角川スニーカー文庫)

オーラバトラー戦記〈11〉ハイパー・ホリゾン (角川スニーカー文庫)
オーラバトラー戦記〈11〉ハイパー・ホリゾン (角川スニーカー文庫)


2007.10.21
一昨年の北里大学での講演会で紹介されて以来、
さまざまな富野のコメントで引用されてきた、
山折哲雄氏の「日本文明とは何か―パクスヤポニカの可能性」。
ついに腹をくくって購入することに決めました。

日本文明とは何か―パクス・ヤポニカの可能性 (角川叢書)日本文明とは何か―パクス・ヤポニカの可能性 (角川叢書)
山折 哲雄


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さすがにこの値段と言うこともあり、
図書館で借りたり、中古を買おうかと思ったのですが、
なかなか機会に恵まれず読めずじまいでいました。
2003年の東大講演会で紹介された「神、人を喰う」は読んでいただけに、
富野に影響を与えた本を読めずにいるのは悔しく悶々としていたのですが、
先日天佑と言えるようなことが。
あまり詳しいことは書けないのですが、
某新聞社の某企画に応募したら入選して、
賞品として5000円分の図書カードを頂いたと。

これを使って購入しようと思ってます。
野村ノート」も一緒に買っちゃおうかしら?

あ、そういえば今年のメディア芸術祭のシンポジウムで薦めていた、
ロリータ」もまだ読んでなかったな・・・。
とにかく、今度東京に出る時に買ってくる。
どんな内容かなぁ・・・ワクワク

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富野講演会行ってきた
何も考えずに走れ?
富野が講演会で薦めた書籍一覧
先日落札した「The Sneaker」の2001年4月号が到着。
この号で特集されている「オーラバトラー戦記」の記事に、
富野インタビューがあるという。
早速中ほどの「オーラバトラークロニクル」という特集ページを見てみたのだが・・・

これはあらすじ紹介でしょ、これはキャラクター相関図、
これは世界感だし・・・っておぉ、地図まであるのか。
アの国がここで、北にミの国、さらに北にラウの国か。
ふむふむ・・・って富野富野・・・
次はオーラバトラーにダンバインの紹介、
そして・・・全巻のカバーイラストと、各巻の口絵を担当する、
12人のイラストレーターのコメント・・・

ってこれで終わり?
富野は?
ねぇ、富野は?
富野インタビューって商品詳細に書いてなかった?!

これはまたやってしまったのかとしょんぼりしながらページをめくる。
最後までめくってもそれらしいページはない。
今度は最初から。やはりない。
慣れっことはいえ「またか・・・」と落ち込んでいるところで、
ふと四つ折になっている綴じ込みポスターが、
「オーラバトラー戦記」のものであることに気づく。
もしやと思い裏返してみると・・・
富野インタビューあったー!!

あわやオイラ涙目www
いや、外れじゃなくてよかった。
本当によかった。

「いろいろなものが見えてきた、今―もう一度オーラバトラーを書く機会をもらった。夢中になってます」
「僕レベルの才能が個性なんて発揮しようとしちゃいけなかったんです」
「書き直しなんて言えない。ほとんど書き下ろしの気分でやっています」
「オーラバトラーを見直すうちに勉強したいことがどんどん出てきて、困っています」
「お金持ちになりたい。有名になりたい。そういう俗な欲望が原動力なんです」

小見出しだけでもハァハァしてしまう。
なんて富野チックな言葉の羅列。



で、リライト版「ガーゼィリーンの翼」マダー
2007.10.20
Firefoxに登録してた全てのブックマークと、
Sageプラグインに登録していたブログのRSSが全て消えうせました。

ポポポポポ( ゚д゚)゚д゚)゚д゚)゚д゚)゚д゚)ポカーン…

何がなにやら事態が全く把握できません。
Firefoxを2.0.0.8にバージョンアップしたのが原因?
それともフリーズして強制終了させたのが原因?
なんであれ非常に困ってます。
先月の17日から読み始めたMatthew Reillyの「Temple」。
TempleTemple
Matthew Reilly


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読み始めから1ヶ月が経過したが、ようやく1/3程度に達するかどうかといったあたり。
この前に読んでいた「The Secret Supper」が1ヶ月で読了していたことを考えると、
非常にテンポが遅い。
文章自体が特別難しいというわけでもないのだが、
どうもリズムに乗れずにいる。

その「Temple」の中で懐かしい言葉が出てきた。
それは「Doogie Howser, M.D」。
1992年4月からNHK教育で放送されていたドラマ「天才少年ドギー・ハウザー」の原題である。
このドラマ、たまたま第1話を見たことがきっかけで、約1年ほど見続けていた。
主人公のドギーは14歳にして臨床医となった天才少年。
第1話では運転免許の試験中にけが人(病人?)を発見して、
検定官の制止を無視して現場まで行き、
救護活動をするシーンから始まっていたような記憶がある。
医療現場の問題や、少年らしい思春期特有の悩みなど
いろいろストーリーに織り込まれていた。
そういえばガールフレンド役の女の子が可愛かったんだよなぁ。
これと「アルフ」はよく見ていた記憶がある。

あぁ、こうやって書いてみると、
「X-ファイル」とか「新スタトレ」とか「ダークエンジェル」とか、
オイラが海外ドラマを意外とすきなのはこの2作品の影響かも。

で、「Temple」ですが・・・トンデモ度に拍車がかかってます。
謎の巨大黒ジャガーがテロリストを殺戮しまくりです。
川には巨大ワニが待ち構えています。
何、この野生の王国・・・

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トンデモすぐる

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DVDドライブが突然逝かれました。
昨晩のことです。
DVD-Rの整理をしていたんですよ。
内容を確認して、「Virtual CD-ROM Case」に登録。
次のDVD-Rを入れたら・・・あれ?反応しない。
つい5秒前までは正常に作動していたんですよ。
それが突然の沈黙。

ドライブ自体は認識しているし、ディスクを入れると回転音はしている。
カーソルの先にもディスクアイコンが出現したりするので、
ドライバとかそのあたりがいかれたわけではなく、
単純にピックアップレンズが読み込み不良になった様子。
レンズクリーナーを入れても状況は回復せず。

こりゃ買い替え時なのかな?
まぁDVDドライブ自体外付けでいいから欲しかったしね・・・。
なにかオススメのないかな?

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一昨日書いた日芸の富野講演会についてだが、
小林さんからこんなメールをいただいた。

日芸の学生課に電話で問い合わせたところ、そのような企画はないとのこと



これはつまるところガセだった(あるいは別の人と間違えていた)のだろうか。
それとも学生課が把握していないだけで、
全体企画ではなくサークルが独自に折衝して招待したのだろうか。
ただ11/2という時期的なことを考えると、
この段階になっても情報が上がってこないということは前者の可能性が高いように思われる。
そもそもの発端のブログで「OBだし講師だから」とあったが、
富野はOBであっても講師ではないし・・・。
富野が関わっている大学は京都精華大と金沢工業大くらい。
やっぱり人違いだったのかなぁ・・・。
もしくは去年の日芸講演会と勘違いしたタイムトラベラーの仕業

ちなみに今年の芸術祭には平野綾がミニライブ&トークショーをするそうです。
( ´_ゝ`)フーン
2007.10.16
クライマックスシリーズの第2ステージを楽しみながら見ている。
特に昨日・今日は地上波中継を見ているのだが、
解説の野村氏の配球解説が見ていて非常に面白い。
2005年のプレーオフ第2ステージでも野村氏は解説をしていたが、
グチグチいやみったらしくボビー采配をけなすだけだった。
が、今回は捕手から見た配球の妙味をわかりやすく解説してくれていた。
やはり現場に出ると変わってくるのかね?

で、今日の試合。
マリーンズは負けたら後がない。
にも関わらず先発は左のエース成瀬ではなく小野。
これには驚いた。
おそらくボビーにとって第1戦の負けは織り込み済み。
勝てば儲けもの、引き分けでも御の字といったところだったろう。
だからこそ負けても傷の少ない久保をぶつけた。
だが昨日のスンスケでの負けは想定外だったはず。
負けられないからこそ成瀬で勝負をかけると思ったのだが。
結果としては第2戦のリプレイのような、
里崎の逆転ツーランでマリーンズが星を五分に戻した。

これで明後日の第5戦はダルVS成瀬のエース対決。
これは面白い投手戦になりそうだ。


で、右のエース地味様って何してるの~?!

野村ノート野村ノート
野村 克也


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シャア専用ニュースさんにあったこの情報。

いわゆる日芸の芸術祭に富野くるか?ってことらしいけど、
あんまり情報流れてないなぁ・・・。
芸術祭はたしか江古田から所沢に場所がうつったらしいと言うところまでは調べたけど、
実行委員のサイトとかも見つからない。
今年3度目の生富野接近遭遇のチャンスなんだけどなぁ・・・。
先日落札した劇場版∀ガンダム「地球光」のパンフレットが到着。
やっと手に入った~・・・。

実はオイラ、「月光蝶」のパンフは持っていたものの、
この「地球光」のパンフは持っておらず、
今まで5年半の長きにわたってずっと探索し続けていた。

というのも、実はオイラ、「地球光」は劇場公開時に映画館で見たのではなく、
前年末にお台場で行われたオールナイト先行上映に参加して見てしまったから。
折も悪く、劇場公開時には椎間板ヘルニアを患っており、
2日連続での長時間の一定姿勢には耐えられず、
「月光蝶」だけ公開翌日(月光蝶としては初日)に見に行った。
だからパンフレットを手に入れようがなかった。

それだけに5年半の時間をかけて手に入れることのできた感動はひとしお。
よ~し、パパ気分がいいからもうひとつ富野資料落札しちゃおうかな~。
今日は以前に書いたとおりに秋葉原UDXで行われているASIAGRAPH2007の記念講演パネル、
「日本のコンテンツの表現力」を傍聴してきました。
今回は全体の流れと言うよりも、印象に残ったコメントのみをピックアップしてメモしたので、
これだけではおそらく何が何だか分からないと思いますが、
その時は他のサイト様を参照していただけると助かります。
それから、今酔ってます。
かなり構成はもちろん日本語が崩壊しているかもしれません。
記憶もあいまいな部分があります。
メモの字が汚くて読めない部分もあります。
話の流れの中で編集した部分もあります。
その点をご容赦ください。

まずは入場から。
といいたいがその前に。
今日は富野の正面2列目に陣取ったのだが、
最前列に座っていたのは女の子2人連れを除いて、
いかにもな人ばかり。
自分も同じように見られているのだと思うと、ちょっとイヤ。

話を戻して入場。
モデレータの中谷氏から紹介を受けると、
「ここ2年は活躍しておりません」とまずはジャブを飛ばす富野。
中谷氏の自己紹介代わりに上映された「デジスタ」のPVが流れている間はつまらなそうに爪を噛んだりしている。

自己紹介では虫プロ時代を評して、
「虫プロの社風・作品の方向性が好きではなかった」
とバッサリ。
『海のトリトン』についても、
「初めて総監督をやらせていただいたが、原作が使えないので大幅に改変したところ、虫プロから徹底的に顰蹙を買った。『富野を殺せ』とまで言われた」
と言い放つ。
さらに、
「自分の知らないところでガンダムがたくさん作られて怒り狂っていますが、60過ぎて怒り狂うと脳の血管が詰まって死んでしまうので、現在はそうしない努力をしています」
とリップサービスも。

そんなこんなで本題へ入る。

・「三枝氏はガンダムをやったから理解力を増した。」
 「あんなくだらないものをオペラというな」
 「日本語のものをオペラというな!もっとミュージカルっぽいものをつくれ!」

パネリストの玉木正之氏が、自己紹介の中で三枝氏の4時間にわたるオペラを2時間半にまとめた話をした場面にて。

・「デジタルなんてものを信じるな!」

「今日のテーマ」として発言

・「アメリカに初めて戦争で負け、左巻きの連中はともかくノンポリはアメリカに頭を垂れるしかなかった。だから工業力で勝つしかなかった。それは文化論も同じ。ディズニーを潰す!と思った」

・「今こそアイデンティティーを獲得する時代。列島の美意識に回帰せよ」

玉木氏の今のアート・小説は浮世絵時代から連綿と受け継がれてきた知識を断絶してしまっているという話を受けて。

・「『三丁目の夕日』は夕日=後ろ向きでしかない。朝日=前向きでないのがダメ」

・「途切れてしまったものを戻すことはできない。だが、だからこそ、意識して復刻すれば、学習して手に入れたものは伝統に転化できる。文化として厚みになる要因になる」

・「文化は発生地ではなく同心円状に発展した周辺にこそ残る。地方が中央を意識するからこそドーナツ化で残る」

・「CGはあくまでもツール。ツールそのものを重要視するのは危険」

・「CGは映画を撮りたい人間にとっては便利。好きに作ることが出来る。ただそれだけのもの。だがそれが身体性を失わせる」

・「4畳半、6畳の世界の感性が世間に通用するか!」

・「絵画は作者の筆致などライブとして残る。今後のCGはそのライブ感を獲得することが課題。そんなことできねーよと思うやつは作るな」

・「技術論ではない。技術そのものには感動するが、どう使うかが問題」

・「『カルチャーミックス』という新しい定義を提唱する。日本だけでなく、半島、大陸、東南アジアすべての文化を混ぜ合わせて新たなものを作り出す」

・「カルチャーとはみんなで耕し作り上げるもの」

・「お上の保証がついて楽しむのが文化なのか?」

・「各国がメディア産業に力を入れて取り組んでいる。10年後くらいにどうなっているかわからない。上澄みを掬い取っただけのコピー・海賊版では5年後10年後に通用しない。」

・「生まれついた風土で何を身に着けたかが大事」

・「一芸に秀でるということは100のことを知る。あれもこれもじゃダメ。30までは一つのことに身を浸せ。オタク趣味でもそれが文化・精神論になる」

・「今の20代のアニメーターは惚れ惚れするほど美しい線を描くが、それを動かせるのか?」

・「上からの枠を意識したら飼い殺しになる。予算ありきではものはつくれない」

・「東京ほど東西の遺跡が残っている場所はない。日本はそういう点で恵まれている」

ざっと印象に残った富野の言葉を列記するとこんな感じ。
大体の雰囲気がわかっていただけると良いのですが・・・。

今回アレ?と思ったのが、
「30までは一つのことに身を浸せ」の部分。
以前までの富野ならば、
「本当に才能のあるヤツは20までにそれで商売ができるほどになっているのだから、
凡人の我々はさまざまな経験をつんで『幅』を身に着けよう」
といった感じで、スペシャリストよりもゼネラリストを重視しているように感じられた。
それだけに今回の発言には少なからず驚かされた。

それから今回の記念講演は人選的に失敗かと。
富野と玉木氏がデジタル批判的な論調で暴走、
中谷氏がほとんど聞き役に徹することになってしまった。
かくいう私も玉木氏の「そもそもコンテンツとはなんぞや?日本とは何をさすのか?『日本の』と題するなら「コンテンツ」などといわずに日本語を使え」という言葉には大賛成。
だが中谷氏の当事者としての意見も聞きたかっただけにちょっと残念。

それから最後に一言。
関係者席に座っていたある男女の私語がうるさすぎた。
何様かしらないが、人が話をしている時は黙って聞け!!!!!
パネリスト3人を無視して自分達の世界に入っているかのような態度には腹立たしさを感じた。
秋ナスとれたよ~!!( ^,_ゝ^)

eggplant01.jpg

   / ̄ ̄\
 /   _ノ  \
 |    ( ●)(●)
. |     (__人__)  収穫の秋はいいけど
  |     ` ⌒´ノ   育ちすぎだろ、常識的に考えて…
.  |         }
.  ヽ        }
   ヽ     ノ        \
   /    く  \        \
   |     \   \         \
    |    |ヽ、二⌒)、          \
先日相関図ジェネレータに関する記事を書いたが、
また同じようなものを見つけてしまった。
それは「漢字説明ジェネレータ」。
電話などで自分の名前の漢字を説明する時に、どう説明したらよいのかを教えてくれるものである。
それこそドカベンでの、
「山は野山の山、田は田んぼの田、太郎は桃太郎の太郎です」
のように。

で、いつもどおり富野でやってみた。
さてさてどんな結果になるのか。


担当者 「ご予約のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
あなた 「富野です。」
担当者 「どのような漢字でしょうか?」
あなた 「富良野オムカレーの富に、秦野市の野です。」
担当者 「・・・。」



担当者 「ご予約のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
あなた 「富野です。」
担当者 「どのような漢字でしょうか?」
あなた 「富良野オムカレーの富に、野糞の野です。」
担当者 「・・・ガチャン」



担当者 「ご予約のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
あなた 「富野です。」
担当者 「どのような漢字でしょうか?」
あなた 「富良野オムカレーの富に、野菜オナニーの野です。」
担当者 「・・・。」



・・・ごめん微妙すぎたね。
でも、「野糞」だとアウトで、「野菜オナニー」ならまぁセーフなのかと。
つーか野菜でオナーニするのはお(ry

最近気になっているもの。

B000PDZP0Cブラバン!甲子園
東京佼成ウインドオーケストラ
UNIVERSAL MUSIC K.K(P)(M) 2007-06-27

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さすがに浦学のチャンステーマなどは収録されていないが、
耳に馴染みのある曲ばかり。
応援歌アレンジの曲って言うのも聞いてみたい。
そういえばこの前見たときは、ハニーナイツの「サスケ」も使われていたな。
ああいうのってどういう基準で採用するんだろう。
しかも一校が取り入れると、瞬く間に他校も使い始めるし。
2007.10.11
   / ̄ ̄\
 /   _ノ  \
 |    ( ●)(●)
. |     (__人__)  黒江ヘッドコーチはいいけど
  |     ` ⌒´ノ   デーブ大久保打撃コーチはないだろ、常識的に考えて…
.  |         }
.  ヽ        }
   ヽ     ノ        \
   /    く  \        \
   |     \   \         \
    |    |ヽ、二⌒)、          \

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クライマックスシリーズを見ていてふと思い出した。

それは半年ほど前のこと。
コメント欄に、

小久保、松中、スペが3人揃ってスタメンな試合数で『野球くじ』が出来そうですな。


という書き込みを頂いた。

そういえばもうレギュラーシーズンは終了したけれど、
結果はどうだったんだろう。
細かいところが気になってしまい、風邪気味にも関わらず調べてみた。

結果、3人が揃ってスタメンだった試合数は・・・

53試合

少なっ!
144試合あって半分以下ですか。
いや、オイラも半分以下の70くらいだとは予想していたけれど、
さらに下回るとは。
そりゃぶっちぎりトップの下馬評裏切るわけだわ。
ヘンリー理論と実勝率の差も-0.5以上あるんだし。
この3人の使えなさはワンちゃんにとっては頭の痛い問題だよなぁ・・・。
以前書いたキネ旬82年3月下旬号の富野インタビュー。
ちょうど「めぐりあい宇宙」の公開に合わせて行われたものだが、
それをようやくテキスト起しすることが出来た。
すまんのう、手が遅くて。
今週末の富野シンポジウムのレポも遅くなるけど勘弁してケロ。
つーか印象的なポイントしか書かないつもり。
概要はシャア専用ニュースさんとかで上げてくれそうだから。

で、話を戻すとこのインタビュー、作品そのものの話題よりも、
「TVアニメのダイジェスト版が上映される」という現象について語っているほうが多い。
今現在シネコンの隆盛で息を吹き返しつつある映画(特に一時期落ちぶれていた邦画)業界だが、
当時はTVに押され興行的にも落ち込んでいた時期ではないだろうか。
そんな映画業界への提言までしている。
特に「コヤの顔つきを変えろ」という部分では、
シネコンが流行している一つの要因ともなっているように感じられるので、
なかなか鋭いことを言うと思う。
けど「たかがアニメ屋風情のお前が言うな」と言われそうな上から目線には、
信者としては実写映画関係者から反感を買わなかったかハラハラしてしまう。
あと、「構造」と言う言葉が繰り返し繰り返し出てくるのには、
時代性を感じてしまったりして。
これって「構造主義」とかいうものですか?
オイラはよくわからないけれど・・・。


「機動戦士ガンダム」を映画活性化の一つの突破口にするために

コンティニティ主義でいくアニメの利点

―現在(2月10日)どの辺りまで「機動戦士ガンダムⅢ」の製作は進行しているのですか。

富野 絵の方のリテーク作業と、あとダビングが残ってます。でも、日本サンライズのシステムは、音響監督と打ち合わせをした後は、ダビングは音もスタッフまかせで、こちらはただボーっとその作業をみているだけなんです。実写映画の監督さんには申し訳ないけど、僕の場合はフィルムにベタ付きじゃなく、仕事の結果の上積みだけを拾い上げていくので、僕みたいに監督に“総”という字がつくのは、ソーソーに作業をしているから総監督じゃないかなって気がしないでもないですね。実際、アニメの場合は、絵コンテをきらないとアニメーターの作業が進まないので、絵コンテの段階で60~70%、フィルムの仕上がりが見えます。まあ監督というのは本来、カメラの脇にいて俳優の演技にあれこれ注文をつけることに精力を投入していくわけだから、その意味ではアニメの場合もワンカットごとに絵の仕上がりを見ていかなければならない。しかし、現在、僕はTVシリーズもかかえていまして、時間的なことからも、結局コンティニティ主義でいかざるを得ないという宿命があります。

―その、作品の全体像を把握しながら作業を進めていけるという点に、実写にはないアニメの利点があるのでは?

富野 それはあります。絵コンテ以後は、アニメーターや背景美術の問題であり、最低限度の分どまりさえ覚悟しておけば、これらの作業は他人まかせでやっていけます。絵コンテの段階で、台詞のニュアンスのかなり細かい部分まで決定することができるし、演技の展開の基本的な構造を全部指定することもできるわけですから、絵コンテを放出してしまうというわけです。無論、ワンカットずつ原動画をチェックしてゆく監督もいますが……。それと、スタッフの顔ぶれを見れば、仕上がりのディティールが大体見えてくるわけですから、船頭を多くしてガサガサやるより、任せる方が効率的にはいいともいえます。そんな状態でも出来上がったフィルムには、僕のニオイが間違いなく出てくるんです。

―絵コンテが大事なわけですね

富野 そのためにも、物語の頭からお尻までを描き流した第一稿の絵コンテで全体像を見直し、第二稿、第三稿とふるいにかけて煮つめていくことで仕上がりを決定してゆきますね。ですから最近の日本映画の中に、我々のレベルでいう絵コンテの第一稿の段階でフィルムを放出してしまってるなと思うものをよく見うけますね。シナリオから映像にしていくためのプロセスの間には、間違いなく何かを変えなくてはいけないという、エイゼンシュテインのモンタージュまで戻れとはいいませんが、コンティニティの段階で一度止まってみて、映像に転化していくという作業をしてみなくてはいけないという部分があるわけです。絵コンテはそのプロセスを確認し、創作させてくれますから、ストーリーのコンストラクションを全面的に改稿することも可能なわけです。表現の問題としてね。このプロセスが今の日本映画界の中に欠落しすぎているという気がします。僕の学生時代にはヌーヴェル・バーグ全盛だったんですが、今を切りとっていくという部分で、カメラを振り廻したりしてリアリズムというものを見せていけると信じ込みすぎた時代があったんじゃないでしょうか。
 映像のコンストラクションによる表現という手段は、その精神構造が文字の表現と違うにもかかわらず、皮相な表現だけをとってしまったということでしょうね。コンティニティ主義がいいとは言い切れないけれど、少なくともそれを言い出した人達が歴史的にいたということの意味と、それが実際に映像を仕上げていく時、どのようなメカニズムを持ち得たかということは、もう少し研鑽していった方が良かったのではと、実感として、わかって来ました。

時代の流れと密着していったTVアニメ

―「鉄腕アトム」以降、アニメはTVの30分枠の中でいかに若い人達を惹きつけるかとドラマ展開術を培っていった。そして世代や時代と共に的確に流れていった演出家がアニメ界にはいて、今、実写の監督が映画からTVに流れている中で、そのアニメの演出家達が逆にアメリカの映画界と同じように、TVから映画に出てくるという状況は、非常に興味深いんですが……。

富野 まったく時代の流れと密着しているな、と痛感します。TVという媒体の持っている世間への見せ方、世間を教えてくれるという構造と、劇場<コヤ>に映画をかけてそこから知る世間の空気というものは、構造的に全く違いますね。映画マニアというレベルでの声は聞こえても、一般の気分は聞こえて来ないために、日本の映画界はものすごく独善に陥りやすい作り方を容認させてしまったと思いました。それが、コマーシャル・ベースとしての映画を成立させなくなったのではないでしょうか?TVの場合、週一本のペースで物を作っていく過酷さを乗り越えていくというのは、現実の時間の進行形を自分がどのように維持していくか、していかないかにつきるんです。少なくとも現実という時間にまみれているから、同じ独善に陥るとしても陥り方がちがうんじゃないか。TVというのは、どんな駄作であろうがいやでも、あのTVの電波をささえるためには、現在というものを見ていかなければならないというプレッシャーがあり、現場でウダウダと物を言ってるヒマがないんです。そういう現実の時間が鍛えてくれるスタッフの存在というのは、少なくとも閉鎖的な劇場という空間からは出てこないんです。これは冷酷な事実として受けとめて欲しいのです。だからTVから映画に出ていくというケースは、今後も多くなっていくしかないでしょうね。

―時代と対応していかなければならないというのは、「海のトリトン」(72年)にも表れていると思うんです。つまり、アトランティス大陸の生き残りのトリトンが、海の支配者ポセイドン一族と戦う中で、アトランティスの末裔を全滅させてしまうという善悪逆転劇で、何が善でどっちが悪か分からない現代を投影していた。その延長として善も悪もなく戦いの中で新しい方向性を見い出していくというのを描いたのが「ガンダム」ではないかと思うわけですが

富野 「海のトリトン」をやる時に、教えられたことがあるんです。受け手が若ければ若いほど、子供であればあるほど、選択能力がないから表現されたものは全部飲み込むだろう。その時にいい物はいいで与えてかまわないんだけど、問題なのはそれは間違いなく純化されたものでなければならない。その作業をやるためには、文豪がその時その時に人生を賭けるぐらいのつもりでやらなければならない。そんなことを何かの本で読み、本当かなと思いました。当時のTVアニメの仕事をしていて、単純にいえば、何も考えずに作っていてすんでいたんだけど、もし、子供に見て貰うものを作れるのが文豪以下のレベルでいけないとしたら、自分ではどうしようもない、と考えたわけです。けれども、その文章の中で、大人一人が真剣に生きているんだ、本当にこれしかないんだと示すこと、これも行き方としては正しいと書いてあったんです。それならば、出来そうだ。ということで、その時々に持っている自分の本音を出してゆこう。少なくともそうすることで子供にウソをつかないですむだろう、そう考えたのです。で、当時主流を占めていたのは勧善懲悪もので、世の中これで終わるわけがないことは、小学校一、二年になれば皆分かっていることなんです。つまり自分がいいことをしているつもりでも大人に伝わらないことはいくらでもある。そういった体験から子供なりに現実を知っていくわけですから、その構図をそのまま見せていけば面白いだろうし、分かっていってもくれるだろう。それをしていかないとTVアニメの定型化は増々進んでいくのではないかと危惧して、「トリトン」をやってみたのです。
 そのことは一見分かりにくいことかもしれないけれど、見ている子供達の中に「?」として残るようなことがあれば、作品は10年間は生き続ける事が出来るんじゃないだろうか。しかし、それは正確にいうと作品が生き残るということではなく、その「?」が残るんですが、それだけであっても、それを支えた作品は無駄に終わらないんじゃないかと思ったわけです。現に「トリトン」は、TV放映後何年かの中でそういうリアクションを具体的にいただきました。となれば、その思いというものは切り捨てられない。

―その姿勢はその後の作品作りの上でも続けていかれるわけですね。

富野 さあ、今後のことはやってみない限りなんとも言えませんけれど、過去の話でいえば、「無敵超人ザンボット3」(77年)の時に、ロボットもののセオリーを全部逆転してやろうと考えたんです。例えば全長100メートル以上のロボットが登場するんですが、こんなものが実際に人間のいる所をドタンドタンと歩くと迷惑なわけですね。その気分を出そうとすると、主人公であるロボットはピカピカには見えてこないわけですよ。そんなタッチのものを作るというのも、当時氾濫していたロボット・アニメの流行している部分だけがあるべきものではない(原文傍点)という別のテーゼを打ち出したかったからです。作品としてというより、状況論としてね。これは大人である製作者の最低の倫理観じゃないのかとも思いましてね。そうしてその後、「無敵鋼人ダイターン3」(78年)、「ガンダム」と来たんです。

今の若い人達は皆、真面目で本気ですよ

―そのTVシリーズだった「ガンダム」を映画版として再編集された時に意識の違いはありましたか。

富野 それに関しては全くありません。「ガンダム」の場合は、個人的に企画の段階から映画にしようと思っていましたから。で、その冗談を状況を見ていきながら本気にしていったわけです。だからまだ映画化が決まる前に「アニメージュ」誌で「ガンダム」映画化五部作案をぶち上げて市場を掘り起こし、あの時はすでに本気でした(笑)。だから、どうせぶち上げるんだったら、「人間の条件」を越える大長編にすればよかったんですが、すっかり忘れていて失敗したんです(笑)。とにかく、「ガンダム」がこういう風な形でここまで作らせてもらえたのも、「面白い」とか、「つまらない」という今の若い人達の反応をTVを通して教えられたからで、そういったファンがいてくれたことに感謝しています。お世辞でも外交辞令でもなくそう思います。今の若い人達は皆真面目で本気で、40代50代の大人達の気分と違わないんです。つまり、自分が他人に対してどう認められるか、どうスポイルされていくか、本気で悩んでいます。つまり、ファンはアニメが好きであればあるほど自分が自閉症的気分を持っているとか、マニアであればあるほど自分の持っている病的な部分を本能的に感じて、それが風潮として流れて行った時に、いいのかなと思い始めます。そんなことに対して、そうなのだよ、マニアだけでいるということは違うんだよと、大人達が本気になって言ってあげないといけない時がきているのです。世代が違うから話が伝わらないんだよという言い方を隠れミノにするのは、危険です。言葉は年代によってそのボキャブラリーとして持っている意味性の違いがあります。それさえかみわけていれば、どの世代でも話は通じるんです。
 だから、物語や映像の提供者というのは、間違いなく自分の思っている一番正しいと思える一番正確なもの、別な言い方をすると病的でないものを吐き出す必要があるのではないか。これは昔から言われている倫理感(ママ)をそのまま通せということとは違います。人としての一番正しいかもしれない、もしくは一番正確な考え方は、物のとらえ方はこうなんじゃないかっていうその人なりの考えを全身をもって語ればいいのです。間違っていれば若い客が教えてくれます。一番いけないのは、マニアの好みに陥った時に大衆とか一般の心は絶対につかまえられないということです。「ガンダム」というのは所詮、浪花節なわけだし、ロボットものというのはパッケージングでしかない。内容はごく当たり前の話なのです。

世代論が「ガンダム」から拡散していく

―その歩み方が、「ガンダム」の中のアムロ達、ニュータイプで表現していくわけですね

富野 要するにニュータイプというのは、世代論でしかないわけです。世代というのは、乗り越えていかなければならない。だから両方の世代をつなぐ意志というのを、自分がもちうるとするならば、それは間違いなく絶対的に正しいとはいわないまでも、物の見方はこちらについたらこうなんだ、あちらについたらああなんだ、俺は両方が分かりうるというようなメッセージを持っていったつもりです。若い人達はその中から自分なりの言葉を発見しています。ニュータイプというのは、そのとっかかりでしかない。ですから「ガンダム」の中ではニュータイプの規定はしていません。それは物語を作っていく上では、すごく卑怯なことだと思っています。思いながらも規定しなかったために、少なくとも「ガンダム」を基準にしてある部分、意識が拡大していって、ニュータイプという言葉から若い人達が世代論を考え始め、一般的な自分の意識に普遍していくという兆候を見せてくれました。その与えた一つの枠組みから拡大していく力は、一個人の作り手の意志以上に拡大してゆき、それが「ガンダム」を支えている。これは重要なことだと思いますね。

―その方法論は今夏公開の「伝説巨神イデオン」にも流れてくるわけですか?

富野 はい。かつて我々が大学で教えられたイデエとかイデアとかいう観念というものが、哲学辞典的な言葉で並べられていくと大変小難しそうに聞こえる。じゃあ、一体何なのか、人のあり方そのものの姿がイデエらしい。じゃあ、それは何なのか、人は人として現れ得ないだろう。ならば、その事実の因果律だけを描いてみようと考えたわけです。その意味なり、事の善悪は若い人の判断に任せようと考えたのです。そうしないと人間ってこうなんだよね、と決めてしまう危険があり、そこから独善が始まる。そのいい例が、「ええじゃないか」の中の、三木のり平が「時代が変わってくってのは痛いもんですな」と言うシーン。映画というのは、マスに向けての作品です。だから現象の持っている事実関係がどうであるか、という意志さえキチっと掴んで示せばいいのであり、それが出来るところに映画の特性もあるのではないかと思っています。その表現の分どまり(ママ)さえ承知していけば、映画は活性しうる。映画の構造というものは、そういうものではないか。やはり共感できる映画というのは、独善はあるんだけど、その独善というのは制作モチーフとして押さえてあって、表現としては絶対あるところで止まっているわけです。
 だから僕は、「ガンダム」を映画に再編集する時には、TVシリーズ以上に変えなかったんです。うかつに他のメッセージなりを付け加えることはしなかった。絵は80%近くを描き直しましたので、ストーリーだって変えようと思えば変えられたのですが、新しい視点からとか、別の拡大した解釈を付け加えてゆくと、作品として変節してゆくだろうと予測したからです。作品の節度とはそういうものだと思います。その欲求不満みたいな所で、「イデオン」の映画版は、TVシリーズで打ち切りになったための未放映の残り4本80分を観てもらうための映画にしたのです。TVシリーズを全部見ている人は、第二部だけでいいから見てほしい。予定していたTVシリーズに入れられなかったメッセージがあるからです。「ガンダム」は素直にダイジェスト版の三部作。「イデオン」の二部作一挙上映は、第一部は「イデオン」を知らない人に知ってもらうためのダイジェスト版で破綻があろうがなかろうが、そんなのにはかまわずまとめ、第二部は終わりの80分が欲求不満のスタッフとファンのための映画化、なのです。ま、独善と言えば、システムそのものが独善なのであって、それを作品に持ち込みたくはないんですけれどね。作品の中身でうかつな独善を吐いてはいけない、と。映画好きの映画というのは、ATGにまかせておけばいい。コマーシャル・ベースでフィルムを作るのは、そうであってはいけない。その区分けをちゃんとしていれば、日本映画というものは悲観すべきものではないと思いますよ。完成度の高い映像を見たいというのは、今の若者達の欲求であるわけですから。

映像はシビアなもの、映画は素敵なもの

―TVアニメを作って来られて、今の映画状況を、どのように感じてられますか。

富野 僕の場合は、アニメという意識はあまりありませんでしたし、あくまでも映像というものを使って、自分のコンセプトがどういう風に伝えられるのかという実験を、この4,5年具体的にやって来たつもりなんです。今までの繰り返しになるかもしれませんが、僕の場合ロボットものという商品パッケージがあって、それをいじっていくとどうなるかという実験を進めていくうちに、ある時コンセプトが商品になってしまったというのが、「ガンダム」で具体的にありました。マーケットに対して製作者なり監督なりの立場がどうであるかという、やりとりですね。つまり、受け手があっての製作者であり、製作者あっての受け手であり、この構造をもっと意識して持っていかない限り、コマーシャルというのはあり得ません。それはかつて言われた商業主義に迎合してどうのこうの、と言うこととは構造が根本的に違うということです。むしろ、恐いことは採算分岐点というものの構造が見えない限り、映画というものは本来的にありえないという、一番当たり前のものをスポイルしすぎた時代が長すぎたのではないでしょうか?

―具体的には?

富野 例えば、松竹さんだけかもしれませんが、映画館と言うコヤの構造自体が疑問に思います。つまり、アミューズメント・センターとかいわれた時期が一昔前にあって、街の構造そのものも時代と共に変わっていく中で、映画館だけが旧態依然として同じ映画館の顔をしている。マーケットを維持していく上では、あの顔つきだったらダメなんです。そういう事態が進行しているということが見えていないですね。スーパーとデパートの違いは歴然としてありますが、今のデパートはスーパーのいい面を導入しながら努力しています。しかし映画館の顔つきは、時代の大衆とか顧客といわれるものを遮断している空間のようで、銀行とすごく似ていると思いますね。また、ポルノのポスターにしても、ああいうポスターだから見に来てくれるなんて、もうないわけで、街がファッション化していく中で、あのような大仰なやり方が宣伝になるのか?すでに時代は違っているはずなのに、いまだ大時代的なポスターが新宿や吉祥寺にあるというのは、かなわない。歌舞伎町ひとつとっても、あのパターンで映画館が定着してから、もう何十年たっているかですよね。この恐ろしさを変えていかないと、日本映画のマーケット開拓は信じられないでしょうね。映画館に観客が来てもらう方法は、角川の方法と「宇宙戦艦ヤマト」以後のTVというベースのあるアニメしかないんじゃないかと思います。これこそ独善かもしれないけれど、良い例がもっている本当の意味を判って欲しいとは思います。

―観客の意識のあり方も変わって来ているわけですから、企画面での問題も当然出てくるでしょうし…

富野 もう少しマーケティング・リサーチをした上での番組提供を考えなくては。それは例えば、今、なぜ「少年マガジン」がだめで、「サンデー」が盛り返して来つつあるのか、あの空気はなんなのかと言うことと同質だと思いますよ。でも昨年のように若い世代の監督達が出ている限りでは絶望する必要はないでしょう。ただそのためには、少なくとも映画製作の最終決定者である人達が、マニアではなく、一般的な平衡感覚を持った若い空気の決定権に従ってほしい。映画館から世間を見るような映画だけは、止めてもらいたい。映像というものは、もっとシビアなものだし、映画というものはもっと素敵なものだということ、素直なセンスというものに信じて欲しいということです。例えば「なんとなく、クリスタル」は、クリスタルという語感の持っているものだけを大事にして徹底的にクリスタルにしなくちゃいけなかった。それを原宿あたりにいいる一番ダサイところのクリスタルを持ってこられては困ります。なぜもっと華麗になれないのかとね。そうでなければクリスタルを風俗現象として、その現象の根をみる姿勢を明確に打ち出すかの構造にしないといけなかった。もし、僕に「なんとなく、クリスタル」の企画が来たとしたら、例えば小津安二郎調でやってみたかったですね。実際、小津作品の中にはそういうものがありますから……。
 そういった意味で、「ガンダム」なんて僕自身、映画とは思いたくないのです。所詮ダイジェスト版で、映画を作らせてもらったなんて口がまがっても言えない。でも、「ガンダム」をやらせてもらって、少なくとも映画の状況が分かった時、たまったもんじゃないや、映画出来ないやって気もするのです。その上で、やっぱり映画はやってみたいと思ってしまう自分の業みたいなものに応えるためには、何をしたらいいのかって考えてしまう。悲劇ですね。

相乗効果としてマーケットを喚起させる

―でも、アニメはそのような現状の中で活性化の要因となっていくと思いますが。

富野 ありたいですね。要素はあると思いますし、また思いたい。だから、「ガンダム」を三部作にしたということはいえます。一本目のまとめ作業に入った時は二本目はまったくの白紙状態で、正式に決まったのは公開2週間前の試写をやった時です。その時思ったのは、今までに言ったような気分は何となく感じていて、実際にやっていく形の中で「ガンダム」を一つの突破口になるための意志の表示としてやらなくてはということは判ったのです。だから絶対一本では引っ込まない。キネ旬の作品リストに自分の名前を載っけたかったからやったところもありますけど(笑)。けれど、一番大きな理由は活性化の一つの要因になり得るのではないかという勘に従ったということです。そうでなければこんなシンドイことはやりません。ダイジェスト版一本作って気をすませていますよ。でも「ガンダム」の場合には状況を開いてゆくのに利用できると思ったわけで、こうなったら図に乗っていっちゃおうと「イデオン」にまで持っていってしまった。
 それは当然こちらの自己顕示欲はありますけど、それだけじゃなくて、やはり今回の「ガンダム」のことで、実写の特に中堅の映画監督に分かってほしいのは、たかがロボットもので、たかがダイジェスト版で五本作品を作るという事実は何だったのかなと言うことは考えてほしかったからです。そうしたら、絶対に状況に対しての切り口は変わってくるはずなんです。それは少なくともロボットの描いてあるポスターを見ただけでは絶対に分かりません。

―今後の方向性としては、どういう展開をとるべきなのでしょうか

富野 力がついたアニメが続々と登場していくためには、現時点ではまだ問題は山積みしています。状況に対しての問題の取り上げ方や敷衍の仕方をよく認識せず、現状の時流の中で流されている当事者が多いからです。アニメの中にあるものは何かと言うことを本気で考えて一つの意志を持ってスタッフとか、TVが掘り起こしてくれているビデオと連動した媒体の中から若い映像作家が何人も出てこなくては、映像のための市場は見えないでしょう。そしてそのような意識を持った20,30人、アーチストのグループとなった勢力=集団が一つほしいですね。若い20代、30代前半の人達のグループで、「ヤマト」以後のアニメの構造と、角川の構造と、あと何をすれば良いのかを性格に把握した、映画を活性化させようという意識を持ったスタッフです。
 映画が映画だけに収束するだけでは、むずかしくなる。市場というのは、ますます複合化していきます。相乗効果としてマーケットを喚起させるためには、例えばプラモデル業界までもスタッフとして意識していかなければいけない。僕の場合、それを今、放送中のTVシリーズ「戦闘メカ・ザブングル」で試みています。
 でも、これ一つでうまくいかなくてもいいんです。相乗効果論のコンセプトは流れますからね。それさえあれば、いつか映像の市場開拓にもつながると信じているのです。「スター・ウォーズ」も「レイダース・失われたアーク」も、あのテンポはアニメであり、その実験をコマーシャル・ベースでやるヤンキー精神はすごいと思います。それをお子様映画だと仕切るのは簡単ですけれど、映画市場を活性化してゆく上では利用しなくてはならないし、市場を掘り起こしてゆくためには、熟年を狙っていてはいけないということです。じゃ、こちらもやらせてもらおうと考えるわけです。結果的に出来なくたっていいんです。実験を繰り返すことがいつか大きなものにぶつかるだろうという、信念ですね。でも、十年もたてばまた、社会構造は変わりますから、今日の方法論が通じるというものでもないんです。その用意も必要でしょうね。



そういえば一度はスルーした、
富野がアメコミ映画について語っているキネ旬もやっぱり押さえておこうかな・・・
昨日はあんなこと書いたけど、
今日になって久方ぶりにサイトを更新。
HTMLを直でいじるのも久しぶりなのでかなり手こずった。

今回更新したのは「月刊ガイア・ギア通信Vol.1」と「アニメノベライズの世界」。
「アニメノベライズの世界」は更新したつもりですっかり忘れていたもの。
「月刊ガイア・ギア通信Vol.1」は掲載媒体が未確定なので、
確定されるまで更新を見合わせていたもの。
もうこれが最後の更新だろうというつもりで未確定のまま追加した。
さ、これで今度こそ終わりかな?
ミニ辞典の方は主要キャラ・メカが揃って手付かずだけど、
それはまぁ、他のサイトにでもお任せするとして・・・。
実のところサイトの方が今年に入って放置状態になっている。
データベースサイトだから特に掲示板書き込みなどもなく、
放置状態でも別にかまわないのだが、
やはりデータが全部仕上がっていないことには心残りがある。
このまま中途半端な状態で放置し続けるよりも、
きっぱりと更新停止宣言して「未完の完成形」としてしまおうか?
wikiなど他の情報が充実してきているようだしね。
来年でもう開設7周年になるけど、
当時の熱意もモチベーションもなくなってしまったし・・・。
そろそろ引き際なのかな。

あ、閉鎖はないですから。
データベースとして多くの人に利用してもらいたいから放置。
コンビニを7軒も回ったのに、
1軒たりともプロ野球チップスを置いていなかった・・・orz

うち2軒はJリーグチップスは置いていたのに・・・。
毎年第3弾は入手に苦労するんだよなぁ・・・。
ライオンズ以外はほとんど集まっていないよ。
プロフィール

さとまる

  • 書いてる人:さとまる

  • 北関東在住のおっさん。
    富野信者、富野研究家ではありません。ただの富野資料蒐集癖。
    アルバトロスのZ級映画が大好物。
    ご連絡はdameganoあっとgmail.com(あっとは記号に直してください)までお願いします。

    このブログでは「富野作品論」のような難しいものは扱っておりません。それらをお求めの方のご期待に沿えることは難しいのでリンク先の各サイトを参照なさることをお勧めいたします。


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