富野由悠季一問百答
- 2009 07/03 (Fri)
「野生時代」1984年2月号掲載された、
「リーンの翼」に関する富野インタビュー記事をようやくうp。
「いつになるかさっぱりわからん」と書いたとおり、
案の定時間がかかっちゃったなぁ。
富野由悠季一問百答
都内某所、夕暮れ時……。
「リーンの翼」冒頭部を彷彿とさせる
黄昏の万華鏡が、一室の窓に
七色の変化を見せていた。
交錯する光の奔流の中、
言葉が時代の声になった―。
現代の俊英・富野由悠季かく語りき。
富野 大体、バイストン・ウェルの指向性はともかく、先の時代が見えないのに特集を組むのが間違いなのね(笑)。
― ずいぶん暗示的なご発言ですね。今回の特集は、その見えない部分を見るための手引書にしようというのが原点なんです。
富野 ありがとうございます。ほんとうにすみませんね。まだ全然見えてないのに(笑)。
― 将来、見える予定じゃないかと、これからの展開を期待しているんですけど。
富野 いやあ……。あー、怖い(笑)。
五十年後のパースペクティブ
― では、いきなり本題に入りたいと思います。バイストン・ウェルの世界というのは、むしろ日本人の土着の精神性からは随分遠ざかった所にありますよね、設定にしても。
富野 ―というふうにやっぱり見えます?確かにそれは意識していると言えるでしょう。ただ、少なくともこの十五年ぐらい、SFのジャンルでは土着性みたいなことをおよそ無視して書かれるものがとても多かったわけですから、特に目新しいことではないような気がしてます。もし、日本人から離れようとする意識がぼくの中にあるように見えるなら、少なくともSFという切り取られ方をされないために、つまり、日本人の感性をもう少しインターナショナルにしていく必要がやっぱり今後あるんじゃないのか。それをSFというジャンルでしか知ることができないとするならば、それはとてももったいないことじゃないのかという気がして、バイストン・ウェルの世界をともかくも創っていきたいな、と思っただけです。
それから、ぼくは本業がロボット・アニメの演出家ですから、ロボット・アニメを語りながら、否でも応でも、十年先、二十年先、五十年先を、時々、とてもミーハーに考えるわけです。そのミーハー的に考えていく部分で、具体的に人間の、というよりも我々の―もっと簡単に言っちゃうと、ぼく自身の五十年後を洞察できるような自分でありたいと思うし、それから五十年後を間違いなくコントロールできる日本という国家があるためには一体どうしたらいいのかという、意識の置き方の問題をいつの間にか考えるようになっていたわけです。
―じゃ、意識の置き方と、バイストン・ウェルを構築していく上でのパースペクティブは同じですね。
富野 全くおんなじだし、その意識の置き方は、日本人が自意識を持って改革していかないと他民族に対してとても危険な民族になるんじゃないのかな、という問題になると思うんです。日本人そのものはとてもハッピーだからいいんです。そして鎖国の経験もあるわけだから、また300年ぐらい鎖国したって、物理的な条件は全部抜いて言うと、日本人はきっとハッピーにやっていくでしょう。だけど、その日本人が、実は今、世界を一番汚染している人種になりつつあって、一番危険な人種になってきている。第二次世界大戦前と同じように「黄禍」とののしられる時代は戦後も部分的に幾つかあったんだけれども、もっと具体的な形で、「黄禍」の元凶として……
―トヨタ、ソニーみたいな……
富野 そうです。もっと凄まじい形で来る時代が来たら、それは危険だな。そういうもののブレーキング作用も含めてしていかなくちゃいけないとなったときに、億劫かもしれないけれども、日本人の民族意識をそろそろ変えていく必要があるんじゃないのか。
―たとえば、どういうことです?
富野 一つ例を話すと、今、かなり売れている『エントロピーの法則』という本―ぼくが具体的に指摘していることはそのことなんですが―要するに、地球はそろそろ物質的に飽和状態が来つつあるかもしれない状況にあるということなんです。西欧文明が生み出してきた危機感があるとするならば、それの尖兵になって、はしゃいでやっているのが日本人でしょ?ところが日本人は更にもう一つ新しいテクノロジーを行使し始めているという具体的な例証で『エントロピーの法則』の第2冊目が出ているんです。
それは、生物工学と遺伝子工学を通産省が、今まで石炭と石油の石化文化によって構築されていたものを超えていくためのテクノロジーだと信じている。確かにテクノロジー論だけでみていったときには全く正しいだろうと思う。だけど増大していくエントロピー、つまり、熱量を地球が支え切れるかどうかの保証はだれも持っていないのに、たかがこれから五十年ぐらい日本という国家と経済が生き残っていくためだけに遺伝子工学にまで手を伸ばしてしまうことは、まさにかつての大英帝国が産業革命をやって以後、現在を見たら200年かそこらで一番疲れた国家になってきているという道を日本もたどることになるだろうと。
現に、『エントロピーの法則』のあの二冊目の本の中で著者は、新しい神なり新しい宗教なりに戻っていかないと、人間というものはとても危険だと言っているし、東洋には―仏教にしても老子なんかにしてもそうなんだけれども―人の心そのものに回帰していく思想があるはずなんだということを指摘している。それは西洋人だからそういうふうに指摘するわけさ。
―それは思想がはっきりあるのではなくて、思想ベクトルがあるということですか。
富野 そういうことですね。それから意思のベクトルじゃなくて心のベクトルがあるということ。西欧人はそれを全く忘れすぎてきた。日本もそうなるだろう。ところが、日本人の我々の立場で見たときに、仏教とか老子のそういうテリトリーに入っているはずの国家が、まさに西欧文明が潰えていく一つの方程式みたいなものの中に乗り始めているのはとても危険なこと。これは黄禍を招く原因だって、はっきり言える。
―ですが、国家意識を個々の人間が持ち始める出発点をバイストン・ウェルの中に考えられますか?
富野 だから、国家意識の問題を言っているんじゃなくて……
―個々の問題をおっしゃりたいわけですか。
富野 個々の問題を追いけるんじゃなくて、基本的には、単一に心の問題でしかない。
―ですが、『リーンの翼』の発端は日本人・迫水真次郎ですね。だとすると、ある意味ではそれがここまで展開した中で、我々日本人の読者には非常に皮肉に見えてくるわけです。
富野 全くそうです。最終的には国家論でもないしテクノロジー論でもないはずという部分に行き着かなくちゃいけないのに、たとえば国家論を語るときに国家という言葉を一つ取り出すことが今の日本の風土の中ではとても危険だという思想があったり、宗教という言葉を出すと、それがすぐに新興宗教あたりのレベルとドッキングをしていったり、もっと言っちゃうと、自由主義陣営と共産主義陣営それぞれの持っている言葉のパワーに人間の意志が絶えず負けていくのが、ひょっとしたら近代文化の一つの在り方であったんじゃないのかなと。そういう部分を突破していかなくちゃいけない。要するに、人間の意志の在りようを明快にとらえていかなければならないんじゃないかな、と思うわけです。
想念が生むエネルギー
―なるほど、決して単なる理想世界ではない理由が見えてきました。ですが、なぜバイストン・ウェルなのかということになると……。
富野 なぜバイストン・ウェルなのか、といったときに、ぼく個人の夢物語、自分個人が憧れていたことを具体的に文章で形にしたいと思っただけなんです。そのときに、ほんとに自分の夢物語なのかなとか、なぜこういうシチュエーションと時代を思いつくんだろうかだとか、なおかつ83年『リーンの翼』を書き始めたときに、これからしばらくバイストン・ウェルでいいってなぜ思ったのかということをぼくの場合にはどうしても考えざるを得ないわけです。それを考えていったときに、夢なら、まして昔ばなしであったり、伝承物語であればあるほど、少なくとも人間の実相を伝えようという意識とか、自然と人間とのかかわり合いを語り伝えようとする人々の意志がいっぱいあるわけです。その意志というのは、具体的にそのお話を聞いていくことによって、その聞いた人にとって具体的なエネルギーになっているんじゃないのかな、と思ったんです。今みたいにファッションとしてのファンタジーじゃなくて、ほんとに具体的な生活をしていくような、それはほんとに比喩ばなしかもしれないんだけれども、少なくとも昔ばなしとか伝承ばなしの持っているパワーがあったはずです。で、それは一体なぜだったんだろう?と考えると、少なくともその物語の発生する現実というテリトリーに関与しているのであって、なおかつぼくがしんじているのは、これこそちょっとSFっぽくなっちゃうけれども、空想みたいなものでもいい、伝承みたいなものでもいい、言葉として吐き出されていったものは具体的なエネルギーに絶対なるんじゃないのかなと。バイストン・ウェルで言うと、それはエネルギーとしての場がもう存在しているくらいの力を持っているんじゃないのかな、と思いたかった。要するに、現代という時間に対峙する伝承ばなしをつくりたくなったの。そのときにそこで描くべきことは―あんまりにも今は、特に日本人の場合は、身辺に危険がなくなりすぎていってしまっているから―一番生生しいこと、それから本来は一番嫌悪すべきことなんだけれども実は一番平気で人間がやっちゃえるようなことをやっぱり描いていかないと、そういうことなんです。
そして、バイストン・ウェルを、危険な言い方かもしれないけど、たとえば霊界かもしれないという想定をしたときに、そこにバイストン・ウェルという世界を構築するためのいろんなバリエーションを持った人たちがいるんじゃないのか。それは、今それこそ霊媒者たちに伝えられているような形での―天使の世界での階層論かもしれないし―昔から天国とか地獄論と言われている階層論かもしれないし、そういう縦構造を持って、なおかつ横構造を持った大きな世界を構想していかないと、全部の伝承ばなしをバイストン・ウェルへは放り込むことができないはずだから。要するに、地獄と天国の全部の絵ざまが縦にあって、なおかつ横にもあるという世界を想定せざるを得ないし、その世界がもともと人間の思念なり空想なり想念なりから、出ているものだとするならば、現在の我々の思念の凝縮していったものであったにしても、時代によって積み重なっているはずだから、それはだんだんに拡大している世界なんじゃないのか、それを一つの世界として設定してあるんだと。
つまり、バイストン・ウェルにはこういう全体的なトリックがあるわけです。この50年ぐらいの間に人間が異常に増殖しちえるということと完全にドッキングするんだけれども、この増大していくエネルギーは一体なんであるか。地球上にあらわれた総人口の思念が全部バイストン・ウェルに投入された瞬間に、地球というテリトリーからバイストン・ウェル自体が自立してどっかに行っちゃって、まさにバイストン・ウェルのなくなった地球は自滅していくだろうと。そういうふうに全部がつながっちゃうんだよね、ピタッと。要するに、想念の世界なのかもしれない、霊界なのかもしれない、それこそ天国と地獄なのかもしれない、そういう一つの場を、もし事実関係として人が認知することができたときから、世の中に間違いというのが少しは減るんじゃないかなと思いたいと、そういうことです。
―でもなぜ―非常に俗っぽい質問ですが―設定を中世のヨーロッパみたいな世界にしたのか……
富野 すごく簡単なことでしょう。想念の世界なんだから、基本的にはその空間で暮らすこと自体が当たり前にできるような空間である必要があるわけです。人畜無害とは言わないまでも、現在の我々がエネルギーを手に入れるほど猥雑ではなくて、テクノロジーを使わないで出来る―例えば燃料の問題一つにしても―ものを設定する必要があったから、天然ガスというものを簡単に設定した。天然ガスから発生するある程度の技術的なテクノロジーは認めざるを得ないだろう。地熱を利用した蒸気機関―それも汽車のような便利なものをつくるところまで思いついたかどうかは別にして―ぐらいのものはやっぱりあるだろうな、というところで止めているし、それ以上、人が暮らしていく上で必要なのかといったときに、それは必要ではないとぼくは思うから、ああいう景色になってきたんで……。
ファンタジーの裏側に
―スタイルとしてはいわゆるファンタジーを目指していたような気がするんですが……
富野 いや、実を言うと目指してなかったんだ。初めに話したことが基本的に全部あった上でやっていることだから、俗に言うファンタジーには絶対にならないという……。逆に、なるべくファンタジーを擬態でもいいからやってみたいという意志のほうが強かったね。ほんとはファンタジーにしちゃったほうが分かりいいとか誤魔化せるという部分も含めて得なんだけどな、と思ったけれども、やっぱりそうはならない。
何よりも、初めにお話したようなことを伝えることが、今の時代にはとても大事なような気がするから、バイストン・ウェルに関して言うと、ファンタジーっぽい部分だけに傾斜していって、もしこういう気分が曖昧になっていくんだったら余り創る意味がないと思うから、やっぱりぼくにはできない。
某アニメ雑誌の担当者は「ファンタジーやるって言ったじゃないですか」と言うんだけれども、それに関しては「コマーシャルなんだもんね。そのほうがきっと分かり易いだろうな」って。……それはそうよ(笑)。こういう気分を分かる人たちには、それこそ「野生時代」を読むかもしれないような人たちには、それこそ「野生時代」を読むかもしれないような人たちだから、ファンタジー論も含めて話す必要が全然ないわけだから。まあ、申し訳ないけれども、商売人のところが多少あるんですね。逆にそのことが分かりにくくさせているということも、あるなあ。それでなかったらねえ、言いたかないけども、ロボットものばかりこんなにやってられないよ、飽きもせずに(笑)。
―ロボットものをやるのは恥ずかしいという感じに聞こえますが。
富野 いや、違います(笑)。ほんとに恥ずかしかったらやってないよね。「ガンダム」の前に「ザンボット」なんかをやっていて、むしろロボットもののほうが方便としてとても使えると思ったから、ぼくの場合には便利に使いました。ロボットものをこういうふうに使った人はやっぱりいないんじゃないのかね。
―いなかったですね。
富野 実を言うと、ロボットさえ出してれば、ほんとのことを言っても全部許されるという、とっても恐ろしい構造があることに気がついて、それ以来、ぼくの場合はロボットものはとても有効に働いている。そういう自意識を持たなければ―(指折り数えて)「ザンボット」で7本目、立て続けにロボットものばかり7本なんかできないよ。(折った指をみつめて)ほんと7本かよ(笑)。
―「ライディーン」もあるでしょう。
富野 そうだ、8本もやっている。こういう大人もいるんです。面白いでしょう。
―さて、最後に一言いただきたいんですが、翔びますか?
富野 翔べません。現実というのはそんなに甘くないから。
―じゃ、迫水は精神力も含めて自力で翔びますか。
富野 それはわかりません。ただ、こういうことは言える。現実の生活に危機感がなくなった瞬間から人間はみんな妄想遊びを始めるんだよね。その妄想遊びが高じていったときに病人をいっぱいつくるよ。だからほんとはバイストン・ウェルみたいなものも書いちゃいけないんだという言い方にもつながってくる。今という時代はそういう時代なんだから、翔べるかどうかわからないじゃないですか。むしろ過去にあったものを全部排除していく作業をこれからかなり明確な意識を持ってやっていかなきゃいけない時代が否でも応でもあと十年は続くんだもの。
―じゃ、我々が全員病気であることを認識する一つの手がかりでもいいわけですか。とても暴力的な言い方かもしれないですけれども。
富野 もしその表現が許されるならば、その言い方のほうがとても正しいね。だけど、それはほんとに暴力的だと思うから、僕には言えない、怖くて。
現に、こないだアメリカでオン・エアして50%以上の視聴率を取ったという「ザ・デイ・アフター」のフィルムを紹介した番組を観ていて思うんだけれども、あれはアメリカ人のインテリゲンチャが、国内で核戦争はないと思い込み、アメリカの被爆を具体的に想像していなかったから、とても衝撃的に見えるだけの話で、あんなシチュエーションのああいう話は「ガンダム」とか「イデオン」でがんがんやったよね。今更、と思いたい。そうは言っても、とにかくああいう形でアメリカ人の意識の中に投入され始めるのはとてもいいことだ。だけど、実はこんなもんじゃないよという、事実関係の根底に一番近いところをピタッと押さえていかないと、残虐シーンが出てくるからやめましょうという話になってくる。それはとても危険だ。
―どうもありがとうございました。
むむぅ。
なんというか中盤はともかく序盤とラストは非常にイメージをとらえにくい内容だ。
具体例を挙げているようで、「で、つまりどういうことなの?」と聞きたくなる。
まぁこの程度の理解力・読解力しか持ち合わせていないということを痛感しますし、
基礎学力のない自分というものに対して「嫌だな」とも思います。
と富野節で自己否定。
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